戦地からの絵手紙 博多の提灯職人が妻子に寄せた思い【後編】
博多の提灯職人で、太平洋戦争に召集されて戦死した伊藤半次さん。孫の博文さんは2013年、残された絵手紙など約400通の便りを手がかりに、それまで分かっていなかった召集後の祖父について調べ始めました。
家族の元に帰ることを夢見て
慰問袋に入って会いに来て・・・
「お母チャン この慰問袋へ入ったら お父チャンの処へ行けるの 僕お父チャンの戦争シテルの見たいなあ」。半次さんの妻、禮子さんの膝に抱かれているのは、博文さんの父、允博さん(2013年死去)です。
戦地から送る郵便は検閲が行われていました。「とても大切な1枚」という博文さんは、「帰りたい、会いたい、戻りたいとは書けないから、息子の言葉にして、その思いを伝えたのでしょう。祖父の気持ちを考えると切なくなります」と語ります。
2015年にはこの絵葉書を題材に、博多人形師の小副川太郎さんが人形を作りました。
成長した我が子の姿を思う
裏庭で実ったビワをつつく3人の我が子を描いた半次さん。召集され、満州に渡ったのは、末っ子の允博さん(右端)が生後6か月の時でした。「何年も会えないままだから、大きくなった姿を想像して描き、こんな日常に戻りたいと願ったんですね」(博文さん)
望みかなわず32歳で散る
「ナカヨクスルノデスヨ」
半次さんが所属していた野戦重砲兵第23連隊は1944年10月、本土防衛のため満州から沖縄へ転戦します。400通もの便りを送ってきた半次さんでしたが、沖縄から届いたのはわずか3枚。しかも絵を自ら描くことはなく、既製の絵葉書に文字だけを短く記したものでした。
最後に届いた1枚には「オニイチャンオネヱチャント ナカヨクスルノデスヨ サヨーナラ」とあります。一方で「コノツギワ ナンノヱヲオクリマセウカネ」とも書いています。次の便りも送るつもりだった半次さんですが、1944年11月25日の日付が書かれたこの1枚を最後に、二度と届くことはありませんでした。
祖父の足跡をたどる旅
博文さんは父、允博さんを亡くした年に、祖父の足跡をたどり始めます。福岡県に保管してある陸軍兵籍や身上明細書、死没者原簿を取り寄せ、半次さんの部隊が玉砕した沖縄へも何度となく足を運びました。
博文さんや、2017年に企画展「戦地からの便り 伊藤半次の絵手紙と沖縄戦」を開催した那覇市歴史博物館などの調査で、半次さんは野戦重砲兵第23連隊の第1大隊第3中隊に所属し、迫り来る米軍との首里攻防戦に臨んだ後、南部の糸満市へ撤退し、1945年6月に玉砕したとみられることが分かりました。享年32。23連隊1036人のうち、生き残ったのはわずか148人と伝えられています。
半次さんが家族の元へ帰りたいと強く願いながら亡くなって、この夏で75年になります。「これほど時間がたつと、祖父を直接知っている人に会うのは難しいでしょう。でも、埋もれている歴史や資料を掘り起こしていくことは、これからでもできます。次の世代にしっかり語り継いでいきます」。絵手紙の展示や講演といった活動を続けている博文さんは、そう決意を新たにしています。
碓井平和祈念館で絵手紙を展示
半次さんの絵手紙を展示する「伊藤半次 戦地からの絵手紙~満州そして沖縄~」が8月30日(日)まで、福岡県嘉麻市の碓井平和祈念館で開かれています。開館時間は午前10時~午後5時半(日曜、祝日は午後5時まで)で、月曜、火曜と第4木曜は休館(10日は開館)です。観覧無料。問い合わせは、祈念館(0948-57-3176)へ。
イベント名 | 伊藤半次 戦地からの絵手紙~満州そして沖縄~ |
開催日 | 2020年8月1日(土)~8月30日(日) ※月曜・火曜と第4木曜は休館(10日は開館) |
開催場所 | 碓井平和祈念館(福岡県嘉麻市上臼井767) |
開催時間 | 10:00~17:30 (日曜・祝日は17:00まで) |
観覧料 | 無料 |
問い合わせ | 0948-57-3176 |
伊藤博文さんは絵手紙の展示や講演などを通じ、平和の尊さを伝えています。講演などの問い合わせは、伊藤さんが代表を務める「ピースアイランド合同会社」(092-407-1110)へ。