戦地からの絵手紙 博多の提灯職人が妻子に寄せた思い【前編】
現在の福岡市博多区、那珂川にかかる西中島橋のたもとに戦前、老舗の提灯店がありました。主人の名は、伊藤半次さん。召集された半次さんの部隊は、満州(現・中国東北部)から沖縄に転戦し、その地で玉砕します。絵が得意だった半次さんは戦地から博多の妻子に宛て、絵手紙など400通もの便りを送りました。それを引き継いだ孫の博文さんは絵手紙の展示や講演を通じ、家族の元へ帰りたいと願いながら戦死した祖父の無念を今に伝えています。太平洋戦争が終わり、この夏で75年。博文さんが選んだ数葉の絵手紙から、1人の兵士が託した思いをひもときます。
元気、無事を家族に知らせる
満州で釣り糸を垂れる
1941年7月、2度目の召集を受けた半次さんは満州へ向かいます。配属されたのは野戦重砲兵連隊。現地の橋で釣りをしている様子を描き、戦友とビールを飲んで中洲のビール園を懐かしく思い出したことをつづっています。
最後に「こうした絵葉書をこれから色々書いて送りますから 何か一緒に張って取って置いてくれ 又先で見ると面白いと思う」と記しています。「戦争が終わって家族の元に帰り、平和な時代にみんなで一緒に絵手紙を見返す日を夢見ていたのでしょう」と、博文さんは祖父の心中に思いをはせます。
届いた慰問品に大喜び
福岡から届いた荷物に大喜びする半次さん。博文さんは「とにかく元気な姿を描くことで、家族を心配させないようにしていたのでは」と察します。中洲にあった百貨店「福岡玉屋」の箱も見えます。
戦地での日常を生き生きと
祭りの準備をお手伝い
現地のお祭りに合わせ、学校でぼんぼりを貼り替えたり、絵を描いたりして手伝ったことを知らせました。日本から6色くらいの絵の具1箱を送るよう頼んでいます。
我が家の風呂が懐かしい
半次さんは風呂場を自分で設計するほど、風呂好きだったようです。それなのに満州では「入浴等三日に一回です それもほんとに汚くて困りますよ」。妻の禮子さんが風呂に入る姿を描き、「自分の思い通りに設計した美しい入浴場がほんとになつかしくてなりません」とこぼしています。