まちの話題と笑顔をお届け 家族で作る「きつねのがっこう新聞」
「きつねのがっこう新聞」を手に笑顔の白石美帆さん(中央)、佐藤武琉さん(左)、走琉さん
記事 INDEX
- 親子3代で"編集部"
- 「身近」を飾らずに
- ぬくもりを添えて
のどかな田園地帯が広がる福岡県朝倉市。ここに、地域の出来事や家族の日常を書き記した手作り新聞を27年以上にわたって毎月欠かさず発行し、無料で配り続けている女性がいる。「いったい誰が、何のために」――と、地元テレビでも"謎の新聞"として取り上げられた「きつねのがっこう新聞」の発行人を訪ねた。
親子3代で"編集部"
新聞を作っているのは白石美帆さん(59)。朝倉市へ移り住む前に、岐阜県大垣市で出していた「風地蔵新聞」を引き継ぐ形で、今も無料の新聞発行を続けている。コピー代や取材経費など、制作にかかる費用はすべて自腹だ。
新聞作りを支えているのは家族。白石さんを中心に、同居する孫娘の小学4年・佐藤走琉(らん)さん、妹の小学3年・武琉(あお)さん、その父・凱翔(かいと)さんらが加わり、世代を超えた"編集部"を組織している。毎月約250部の紙面を一緒に仕上げ、一緒に届ける。
もともと文章を書くのが好きだった白石さん。「自分の思いや身近な出来事を、飾らずに発信したい」という気持ちは、ずっと胸の中にあった。その才能に光が当たったのは30年ほど前、娘が通う保育園の会報作りだった。手書きの紙面は評判を呼び、白石さんは水を得た魚のように夢中になった。
その後、「店の宣伝にでもなれば」と、営んでいた雑貨店で発行するようになった手作り新聞。始めてみると、スタッフや常連客らも自然と参加して、地域の小さな出来事や日々の話題を持ち寄るように。気がつけば、「知る人ぞ知る新聞」として、地域で親しまれる存在になっていた。
「利益のためではない。好きだから続けている」。その思いが紙面の隅々ににじみ、手に取る人にどこかほっとする安心感を届けた。「待ってくれている人もいるから」と、家族やスタッフとともに一軒ずつ配達して歩く新聞の発行数は、いつの間にか2000部を数えるようになっていた。
「身近」を飾らずに
コロナ禍を経て朝倉市へ移住した後も、自宅の庭で営業する雑貨店「きつねのがっこう」の名を冠した新聞作りは変わらず続く。「もう、やめられないんですよね」と、白石さんは照れたように笑う。隣町のうきは市に話題のパン屋さんがあると聞くと出向いて取材し、3世代8人家族の身近な出来事などが紙面を彩る。
そんな新聞を配っていたある日、高齢の読者から「小さい子どもの文章が読みたいね」と声をかけられた。ちょうどその頃、小学校に入ったばかりの走琉さんらが、文字を覚え始めていた。
「せっかくだから書いてみる?」。白石さんに背中を押されて"記者"に挑戦した孫たち。白石さんが常々伝えているのは「心が動いたら書く」ということだ。「書きたいことがあると、あっという間に書き終わる」と武琉さんは笑顔を見せる。
「じてんしゃで いつもじてんしゃのてます、べんきょうおわてから じてんしゃのています…」。たどたどしくて、飾らない文章。けれど、その率直さが読者の心をつかんだ。文章に絵を添えた紙面には、子どもならではの視点があふれていた。
編集長である白石さんの方針は明快だ。文章は基本的に書き直さない。誤字脱字もなるべくそのままで。「つたない言葉の中にこそ、その人らしさや本音がにじむから」
記事は、ほのぼのとした話題ばかりではない。走琉さんは小学1年の頃、戦争についても取材した。特攻を前にした若者がベートーベンの「月光」を奏で、生への願いと戦争の悲しみを描いた舞台「月光の夏」を見て心を動かされた。調べるうち、特攻隊員の訓練や出撃にも深く関わる東洋最大級といわれた大刀洗飛行場が自宅近くにあったことを知る。さっそく大刀洗平和記念館を訪ね、自分の言葉で記事をまとめた。
ぬくもりを添えて
絵手紙の先生でもある白石さんは、インスタグラムなども軽やかに使いこなして日々、発信を続けている。ネットの便利さや速さ、拡散力を知ったうえで、それでもなお、「紙だからこそ伝えられるものがある」と信じている。
少し丸みのある文字、余白に添えられたイラスト、書く人の息づかいまで感じられるような紙面。手書きだからこそ、そこには不思議な"温度"が宿る。丁寧に書かれた文字からは、「読んでほしい」「伝えたい」という気持ちが、そのままにじみ出る。
きつねのがっこう新聞に登場するのは、有名人ではない。この土地で暮らす、顔の見える人たちだ。知っている顔、見慣れた風景が載っている。「エネルギーをもらえた」「子どもの成長が見られるのが楽しみ」――。そんな声が白石さんの背中を押す。
ネットの情報量や速報性には及ばない。けれど、この地域ならではの風景や季節の移ろい、ふと交わした会話、生活を営む人たちのぬくもり――。そんな日々の何げないひとこまを丁寧にすくい上げ、誰かの暮らしへそっと届けている。



























