「赤坂」の地名の由来を調べてみたら・・・意外なところで遺構に遭遇!

 ささっとー編集部が置かれている読売新聞西部本社は、福岡市中央区赤坂にあります。「赤坂」の名前の由来ってなんでしょう。調べてみました。


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各地にある「赤坂」

 「赤坂」とつく地名は全国各地にあり、<染物屋が坂に赤い絹を干した><茜草が生える山だった>など「赤い○○」が起源とされるケースが多いようです。福岡の赤坂も同様で、福岡城の南側に赤土の丘陵地帯「赤坂山」があり、山へと近づいていく辺りを「赤坂」と呼んでいたそうです。福岡藩筆頭家老だった三奈木黒田家が1812年(文化9年)に写させた城下図には「赤坂口」の名がでてきます。



◆九州大学附属図書館[福岡城下町・博多・近隣古図](仮称)
九州大学附属図書館のホームページからアクセスできる。著作権が生じないパブリックドメインで、事前申請をしなくても無償で利用可能。改変・商用利用もできる。


 現在の赤坂には、西鉄バスの停留所があり、このバス停にだけ「赤坂門」という名前がついています。ただ、周囲を見渡しても、門らしき名残は見当たりません。


城を囲んでいた水堀

 福岡の歴史と文化を学び、街づくりなどにも取り組んでいるNPO法人「福岡城市民の会」の田口由美子さんに話を聞いてみました。


田口さん  

赤坂門という名前は、福岡城の歴史に由来します。1607年、黒田長政によって築城された福岡城は、防御設備として城の周りを水堀で囲んでいました。その一番東側にあたる場所を「赤坂御門」と呼んでいました。


 城づくりの名人だった黒田長政は博多湾を外堀にみたて、城の周囲に内堀だけをめぐらせたそうです。那珂川支流の薬院新川から水を引き入れて、各所に水門を設けて城下町の番所にもしていました。
 「赤坂御門」の表記も城下図で確認できます。


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