独立系書店ブックスキューブリック店主 大井実さんインタビュー【地方編】

イタリアでは孤独感を味わわずにすんだ


――イタリア暮らしで感化された?

 イタリアにはインスピレーションを与えてもらい、人生を楽しむ貪欲さを教わりました。食べ物は郷土料理を地産地消で味わう。街には必ずと言っていいほどサッカーチームがあって、そこでアイデンティティーを確かめられる。ローカルのプライドを持っています。教会には懺悔する人がいて、宗教もちゃんと社会の中で機能していました。バール(酒場)には近所の仲間が集う。孤独感を味わわずに暮らせる街の「インフラ」がありました。


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 イタリア人の価値観を語る上で「フルボ」というイタリア語があります。「ずる賢い」という"褒め言葉"です。情熱的なだけの国民かと思いきや、合理的でクールな感性を持ち合わせ、バランス感覚に優れています。おそらく、都市国家の国民として長い歴史を生きてきたからじゃないかな。

 都市的という意味では、イタリア人は人付き合いをするうえでの間合いの取り方が上手です。バールに入ってきて、エスプレッソを1分くらいで飲んで、わーっとしゃべっていなくなっちゃう。近づきすぎず、離れすぎず。距離感をわきまえてる感じがしました。都市生活者にとって、プライベートに過度に入り込まれるのは嫌だし、かといって孤独も嫌だ。適切な間合いの取り方が重要で、それができるイタリアは大人の国だなという感じがしました。

――日本人は距離感の取り方がイタリア人ほどうまくないかも

 敬語とかあるしね。立場や上下関係もすごく気にするから。イタリアのカフェやバールは、年齢や性別に関係なく自由につきあえる社交の場です。高度成長期の日本は会社が疑似家族としてその役割を担っていました。社員旅行とかあってね。ほとんど解体されましたが。


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自分の居場所をつくりたかった


箱崎店にはカフェとパン屋が併設されている

――イタリア的なローカルコミュニティーを福岡につくりたかった?

 そこまで大それたものじゃなく、単純に自分の居場所をつくりたかった。私の家庭は転勤族で、転校ばかりで根無し草みたいなところがありました。生まれは福岡市ですが、中学3年で福岡に戻るまでに大阪、東京、千葉などへ転校を繰り返していました。高校は福岡高校に進学しましたが、なじめなくて。高校で「伝統、伝統」とすり込まれるのが嫌で。転勤族で郊外暮らしの人間が、伝統主義のど真ん中にドンと入れられた。違和感がありました。ただ、街なかにある高校で、文化的な環境に恵まれていました。中洲に行けば映画館、天神には進出してきたばかりの「紀伊國屋」、その近くのベスト電器にはレコードがありました。映画、本、音楽が近くにある環境を享受できました。

――ロックが好きだったんですよね。

 1970年代半ばはクイーンとかが全盛で。ビートルズは解散していましたが後追いで聴きました。ブルース・スプリングスティーン、エルトン・ジョン。あぁ、フリートウッド・マックもはやってましたね。

――『Rumours』

 それ、すごく好きでしたね。ドアーズとか1960年代のロックも後追いで聴きました。当時としては基礎教養ですよね。日本のロックだと、RCサクセションにはまりました。ロックはスミスでおしまい。後はクラシック、オペラ、ジャズに流れ、そしてイタリアへ。

脱線トークで書店開業にたどりつかないインタビュー。続きは後編【仕事編】へ


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