「博多最後の絵馬師」吉村百耕を後世に 孫が作品の写真集を計画
記事 INDEX
- 住民の願いや感謝を大絵馬に
- 160点を撮影、11月頃に出版
- 「当時を探る貴重な手がかり」
福岡県各地の寺社の大絵馬を数多く手掛け、「博多最後の絵馬師」と呼ばれた吉村百耕(ひゃっこう)(1878~1958年)の孫にあたる男性が、作品を後世に伝えようと写真集の作成に取り組んでいる。地元住民らの願いや感謝が込められた大絵馬からは、地域に伝わる風習や、当時の庶民の思いがうかがえ、貴重な記録集となりそうだ。
160点を撮影、11月頃に出版
百耕は福岡市博多区の博多人形師の家に生まれた。地元の日本画家に師事し、10代後半で絵馬師となった。県立美術館(福岡市)によると、地域住民や団体が発注主となり、寺社に奉納した大絵馬は、2000年頃の時点で県内に約1万2000点。このうち、百耕は個人で最多の約190点を制作した。
約60年にわたり日本神話や合戦、ナマズなど多彩な題材で大絵馬を描き、日清戦争や太平洋戦争といった「戦争もの」も手掛けた。戦後は注文が減り、同業者が廃業、転業する中、晩年まで描き続け、「最後の絵馬師」とも称された。
ただ、百耕の作品は制作から100年以上経過しているものもあり、色落ちが目立つ。このため、孫で英語塾経営の精高さん(福岡市中央区)が2018年秋から写真集の制作に着手した。福岡市出身の写真家、南原広明さんが現存する約160点を撮影。精高さんが解説文を執筆し、11月頃に出版する計画だ。
「当時を探る貴重な手がかり」
博多区の櫛田神社に1918年に奉納された「山笠図」は画面いっぱいに主題を描き、迫力や勇壮さを前面に出している。魚市場関係者の依頼で24年に制作した東区・筥崎宮の「捕鯨図」は、漁民が力を合わせて鯨を砂浜に引き揚げる構図で、興奮や歓喜が伝わってくる。
一方、糸島市・桜井神社の「シンガポール上陸の図」(42年)は、日本兵と敵軍の戦闘場面を描く。終戦直後、進駐軍を恐れて戦争関連の絵馬は多くが廃棄されており、貴重な作品だ。
県立美術館の魚里洋一副館長は「画題の多彩さは、どんな注文にも応える知識と技術があったことを物語る。大絵馬は地域の風習や当時の人々の関心事を探る貴重な手がかりで、記録保存は意義深い」と評価する。