繁栄の歴史を伝える回廊 若戸大橋そばの旧三菱合資会社若松支店
記事 INDEX
- 石炭積み出しで栄えた港
- ビルの内部に大正ロマン
- 歴史を照らす柔らかい光
北九州市の若松区と戸畑区を結ぶ若戸大橋そばの若松南海岸通り。110年前に建てられ、今もこの湾岸エリアにたたずむ「上野ビル」が、大正ロマンを肌で感じられるスポットとして注目されている。
石炭積み出しで栄えた港
かつて石炭の積み出し港としてにぎわい、日本一の貨物量を誇った若松地区。上野ビルは、筑豊地方の炭鉱経営や石炭輸送などを手がけた「旧三菱合資会社若松支店」の事務所ビルとして1913年(大正2年)に完成した。
本館は3階建て、延べ465平方メートル。官営八幡製鉄所で作られた鉱滓(こうさい)レンガを積んだ重厚な外観が特徴だ。天井や扉、窓など至るところに、当時の最先端技術をつぎ込んだ跡が見られる。本館のほか、今も三菱の社標を掲げる倉庫棟、かつて石炭の品質を確かめた分析室などが残る。
建物は1969年まで三菱の事務所として使われ、現在の所有者である上野海運が引き継いだ。今も竣工(しゅんこう)当時の姿をとどめながら、2、3階にはカフェやセレクトショップ、デザイン事務所などがテナントとして入っている。
「石炭の販売に関係した事務所や倉庫などが現存する重要な産業遺産」として、2013年に国の登録有形文化財となり、3月29日で登録からちょうど10年を迎える。
ビルの内部に大正ロマン
戦後を舞台にした映画やテレビドラマを中心に、様々な作品のロケ地にもなった上野ビル。重厚な門をくぐり、無骨な印象の建物に入ると一転、大正にタイムスリップしたかのような、時代の優美と格調を感じさせる空間が広がっている。
中央の吹き抜けの周囲に巡らされた2階と3階の回廊。細密な意匠が施された手すりや柱が当時のまま残り、携わった職人たちのこだわりが伝わってくる。自然光が降り注ぐ天井にはステンドグラスが映え、回廊に差し込む明かりに彩りを添えている。
時折「ぎぃーっ」ときしむ階段を、そろりそろりと上り、3階で営業している飲食店「Asa cafe」へ。東京から地元・北九州に戻って飲食店を開こうと、物件を探していたオーナーの山本朝子さん。上野ビルに出会い、窓から見える皿倉山、そして貨物船が行き交う洞海湾の風景に「一目ぼれした」という。
ゆったりした時間と空間を楽しめるのが店の魅力。訪れる客の8割は女性だそうで、ずっと海を見つめて過ごす人もいるそうだ。
カップルで来店した同市八幡西区の会社員男性(38)は「インスタグラムで目にした写真に魅了されてやって来ました。キラキラ光る海がきれいですね」と、正面に洞海湾が見えるソファに座ってランチを楽しんだ。
上野ビル前の道路を渡ると、若松と戸畑を結んで今も活躍する市営若戸渡船の発着所がある。通学や通勤、買い物など、住民の暮らしに欠かせない大切な足だ。
若松南海岸通りには、「旧古河鉱業若松ビル」「旧ごんぞう小屋」などの古い建造物が並ぶ。一帯は、石炭の積み出し港として栄えた時代のレトロな街並みを散策できる「若松バンド」とも呼ばれ、市民に親しまれている。
歴史を照らす柔らかい光
北九州市に住んでいた頃、上野ビルのそばを何度も通った。その頃は「ずいぶん古い建物が残っているんだな」という程度の認識で、中に気軽に立ち入れて、趣味の範囲で自由に撮影できるとは知らなかった。
ステンドグラスから差す柔らかい光。額縁のような窓の向こうに見える真っ赤な若戸大橋。幾度も丁寧にワックスを塗り重ねてきたのだろう、黒光りする板張りの床。内部はワクワクさせてくれる被写体ばかりで、つい時間の経過を忘れてしまった。
所どころがトタンとくぎで補修された足元に視線を落とす。一体どれだけの人が建物に足を踏み入れ、この天井を見上げたのだろう。設計した保岡勝也氏は、110年もの時を経てなお、建物が大切に使用されていることを想像したのだろうか――。
静かなビル内で想像を膨らませていると、「ミシッ、ミシッ」と遠くに足音が聞こえた。人が近づいてくる気配に、空想の世界から現実へと引き戻された。
3月19~21日には一帯で、「若松南海岸通りの景観を継承するために」と題したNPO主催のイベントが開かれる。上野ビルでは、海岸通りに関する資料が展示され、21日には近隣では働く人と参加者によるディスカッションも予定されている。