まちおこし請負人 木藤亮太さんインタビュー【那珂川編】
記事 INDEX
- 日南の方が楽しかった⁉
- 青色の住民を黄色や赤に
- まちづくりに終わりなし
宮崎県日南市で商店街再生の取り組みを軌道に乗せた木藤亮太さん。市のテナントミックスサポートマネージャーの任期を終え、大学時代から暮らした福岡県那珂川町(現・那珂川市)へと戻ります。インタビュー後編は、日南とは正反対の課題を抱える那珂川市のことや、まちづくりの将来について聞きました。
▶前編【日南編】はこちら
日南の方が楽しかった⁉
――2017年4月に那珂川町の事業間連携専門官に就任しました。
日南市にいた頃からオファーをいただいていました。縦割りの壁を取り払ってプロジェクトを進めたり、役所と現場とで距離があった部分をつないだりする仕事です。その中で、JR博多南駅前のビル「ナカイチ」にも関わるようになり、「ホーホゥ」という会社をつくって「こととば那珂川」の活動に取り組んでいます。
こととば那珂川は、博多南駅前ビルなどの公共施設を管理運営する「博多南駅前Hug組」と那珂川市の協働プロジェクト。カフェやビアガーデン、シェアオフィスなどの事業を展開し、アートやカルチャーのイベントを開いている。
――那珂川市と日南市での取り組みの違いはありますか。
どちらが楽しいかって聞かれたら、日南の方だと思います。
――それはなぜ?
ともに人口5万人の規模ですが、日南の方がまちを何とかしようという人が多かったと思うからです。日南市の人たちは地元で働いていて、日南が元気になれば、みんなの仕事も元気になります。那珂川はもともと1万人くらいのまちが大きくなり、多くの人は博多に働きに出ています。
だから那珂川が元気になると「渋滞が増えて嫌だ」「夜、騒がしくなるから嫌だ」という声が出るのです。でも、人口減少がさらに進んで福岡市の地価も下がったら、極端に言えば1万人のまちに逆戻りする可能性だってあります。その時、産業も個性もないまちがどうなるのかという怖さがあります。そういう意味で、那珂川は課題が見えづらくなっていると感じます。
――その中で、「喫茶キャプテン」を引き継ぎました。
喫茶キャプテンは、市中心部の県道沿いにある喫茶店で、船乗りだったオーナーが40年以上前に創業した。高齢となり2019年6月に閉店したが、木藤さんらが設立した会社が事業承継し、住民に愛されてきたメニューを守っている。
キャプテンは、課題が見えづらい那珂川の現状を考えて引き継いだ事業です。周辺エリアにはかつて、地元の店がたくさんありましたが、今はほとんどがチェーン店です。便利だけど、売り上げは市の外へ出ていきます。
その中で、キャプテンは地元の野菜や卵を使ったメニューを提供しています。なにより、この建物がなくなったら、すべてチェーン店になってしまい、写真を撮っても那珂川だとわからなくなると思ったのです。
――商店街の古い喫茶店をカフェに改装した日南とは異なるアプローチですね。
油津商店街の「ABURATSU COFFEE」では、まちになかったパンケーキなどを新たに提供して話題になりました。キャプテンでは、前のオーナーに教えてもらい、自慢のコーヒーやナポリタンなど昔から変わらないものを出しています。新しいことはしていません。
寂れている商店街には新しい風を吹かせないといけませんが、いま豊かになっている那珂川は残すべきものを残さないといけない。そう考えると、ABURATSU COFFEEと喫茶キャプテンは対照的ですね。
青色の住民を黄色や赤に
那珂川市は、地域の活力につながるアイデアを募る「まち活UPなかがわ」を進めている。木藤さんがコーディネーターを務め、ヒアリングシートや面談を通じて、次の一歩に必要なことや課題解決策をアドバイスしている。
――行政と連携した取り組みも進めています。
人口をこれ以上増やす必要はないのでは、と話しています。増えている住民を色に例えたら冷たい青色。一人ひとりに火をつけ、青から黄色、オレンジ、赤へと変えていかないと、まちが面白くならない。実際、探したら面白い人は結構いるんですよ。
――那珂川に関わり続けてきて、そういう人が見えてきた?
例えば、コロナ禍で飲食店が営業できなくなった時期がありましたよね。その時、まち活UPなかがわにも関わっていた50代の男性は「在宅勤務になって時間ができたので何かできないか」と考えました。彼は周辺の飲食店や仲間に呼びかけて、商品の配達をするプロジェクトをスタートしました。いわば"自家製ウーバーイーツ"です。
現在は会社をつくり、環境保護などの活動をしています。探してみると、そういう人がいることもわかってきました。見えなかったものが見えてきたのだと思います。
まちづくりに終わりなし
――那珂川に戻って7年目に入りました。
福岡県の古賀市や豊前市、大分県の豊後大野市など各地で仕事をして、今まで経験してきたノウハウを少しずつ広げていっています。私が現場に立って行動するだけでなく、若い担い手が実力をつけてきました。こういう専門的な人材が各地に展開し、それぞれの場所で活動する状況になることが理想です。
――成功したところ、そうでないところ、活性化の取り組みが各地で行われています。木藤さんが考えるまちづくり、地域活性化とは?
日南での取り組みが成功だったのか、失敗だったのか――、私もいまだに問われることがあります。那珂川で進めていることが正解なのだろうか――と考える時もあります。でも、まちづくりにおいて成功とか失敗とかいう言葉は意味をなさないと思っています。どこかのタイミングで断面に切れば、成功か失敗かをはかれるけれど、まちは明日以降もずっと続いていくわけですから。
まちづくりは終わりなきもの。どこかを区切って成功か、失敗かではない。やり続けるか、やり続けないか――。もうかる仕事ではありませんが、地元の人に「ありがとう」と言われる喜びもあるし、社会にとって大事なことです。
この仕事をしたいという若い人がどんどん増えていけばいいし、そうなれば日本はもっといい国になると信じています。
▶前編【日南編】はこちら