男女関係、ギャンブル、病気…決別して前へ、野芥縁切地蔵尊
記事 INDEX
- 背を向けてうつむく男女の絵
- 地蔵を削って別れたい相手に
- また次の一歩を踏み出す場所
縁結びで知られる寺社は全国にあまたあれど、縁切りにご利益があるという場所は存在するのだろうか――。「灯台もと暗し」とはこのこと。福岡市早良区に、縁切りを願う人が参拝するお堂があると知り、訪ねてみた。
背を向けてうつむく男女の絵
佐賀市へ続く国道から少し入った早良区野芥(のけ)の閑静な住宅街。一角に、広さ10平方メートルほどの小さなお堂があり、野芥縁切地蔵尊がまつられている。
三方の壁には、絵馬のほか、願い事を書いた紙が中に入っていると思われる封筒が並んでいた。絵馬には、互いに背中を向け、うつむく男女の姿が描かれている。これまで神社などで目にした絵馬にはない違和感。その素朴な絵に目を凝らすと、男女の片方がニヤリと笑っているようにも、怒っているようにも見える。
近くに住む男性によると、絵馬は地元の人が一つひとつ手で描いているそうで、そのため表情も微妙に違うとのことだ。
線香の香りが残るお堂の中。気のせいだろうか、この狭い空間に「負のオーラ」のようなものが充満しているように感じた。
地蔵を削って別れたい相手に
そもそも、なぜここに縁切りの地蔵尊があるのだろうか――。地元住民の有志でつくる「野芥縁切地蔵尊史跡保存会」による案内看板に詳しく書かれていた。
今からおよそ1300年前。現在の早良区重留の長者の息子・兼縄と、現・福岡県粕屋町のお古能姫の間に、縁組が成立した。だが嫁入りの日に、兼縄が行方をくらませてしまう。突然の事態に父親は「花婿は急死した」と偽って報告する。
道中、野芥の付近でそう聞かされた姫は「嫁ぐ先がなくなった」と悲しみ、その場で自ら命を絶ったという。土地の人たちが憐れんで、姫を弔うために石の地蔵尊をつくったことが、野芥の縁切地蔵尊の起源といわれる。
お堂に、ひっそりとまつられた高さ約70センチの地蔵尊。とはいえ、もはや原形をとどめないデコボコの姿で、とてもお地蔵さまには見えない。
近くに住む保存会の湯浅静子さん(76)に話を聞くことができた。その理由は、地蔵尊の体を削って、その粉を縁切りしたい相手に飲ませると、願いがかなうという言い伝えがあったからのようだ。
湯浅さんが小学校低学年の頃、日曜日になると、すでに原形を失っていた地蔵尊の周囲に子どもたちが集まり、陶器のかけらを手に”アルバイト”をしていたという。
当時、休日になると、きれいな着物姿の女性が1人また1人と訪ねてきては、そばにいる子どもに地蔵尊を削るよう頼んでいた。削った粉を紙に包んで持ち帰り、「みそ汁に入れて飲ませると、離縁したい人が自然に離れていく」と聞いていた。
粉を受け取った女性たちはそのお礼にと、砂糖菓子や10円をくれたそうで、子どもたちにとって「日曜日の楽しみの一つだった」という。「たいていはきれいな女性でしたね」と、湯浅さんは遠い日を懐かしそうに振り返った。
周辺にはかつてツバキなどが生い茂り、お堂もほとんど見えなかったそうだ。参拝する人のほぼすべてがそっと隠れるように、男女の縁切りをお願いしていたという。
インターネットの普及などで存在が知られるようになり、男女関係をはじめ、自分や知人の病気、ギャンブル、借金など様々な「縁切り」を願う人たちがやって来る。それでも9割は男女の縁切り祈願とのこと。関東や関西から訪れる人も多く、30~50代の女性がほとんどを占めるそうだ。
また次の一歩を踏み出す場所
4月の平日と休日の2日間、昼間に数時間ずつ、お堂の様子を眺めていると、計9人が参拝に現れた。
10代と見られる娘と一緒に訪れた母親もいた。恐縮しながら声をかけると、ネットで知り、男女の縁を切るために福岡市内から来たとのこと。「真剣なことなので、あまり話したくはないのです」と丁寧な口調で言われ、無礼をわびて頭を下げた。
しばらくすると、近くに住む真子君子さん(85)に話を聞けた。夫の賭け事に悩み、20年ほど前にお参りしたところ、ギャンブルとの縁を断ち切ることができたそうだ。
現在も週5回ほど参拝するという真子さん。83歳の弟が入院中とのことで、「病との縁を切ってほしい」と、近くの店で買い物をする前に立ち寄っているという。「ここでお祈りすると、心が安らぎます」
別の日、黒い正装の女性が花束を手に現れた。軽く会釈すると目が合ったので、遠慮がちに声をかけてみた。福岡市内から訪れた瞳が印象的な40代の女性。交際相手の浮気が発覚し、大げんかの末に別れたのだという。
「まだモヤモヤしている自分の気持ちに縁切りしたいのです」。石のベンチに腰掛け、スマートフォンに残る元交際相手の写真やLINEでのやり取りを見ながら、整理がつかない苦しい胸の内を30分ほどかけて話してくれた。
地元の人たちが大切に管理し、見守っている地蔵尊。澄んだ水がたたえられた手水(ちょうず)舎のそばには、きれいに洗ったタオルが掛けられ、周辺の掃除も行き届いている。
湯浅さんによると「歴史ある地域の大切な遺産だから」と週1回程度、地域で当番を決めて、掃除を続けているそうだ。
みずみずしい菊やカーネーションなど、たくさんの花々がお堂を彩っている。断ち切りたいものを抱え、ここを訪れる人が少なくないことを物語っていた。
解決し難い問題について、一人でじっとこもり続けて悩むのではなく、まず一歩を踏み出してみる。そうしたことが、心に平安をもたらし、また前を向いて歩き始めるきっかけになるのではないだろうか――。
お堂の前で思いを巡らせ、ここで出会った人たちのことを思い返していると、最初に感じた「負のオーラ」は独りよがりの先入観による思い込みだったと、我が身を恥じた。