「国内最古の産地」の誇り 復活させた「脇山茶」を広めたい
記事 INDEX
- 栄西が持ち帰った茶の種
- 今年も新茶ができました
- 地域のファン増やしたい
日本で最も古い茶の産地と伝わる地域が福岡市にあります。市内唯一の茶園がある早良区の脇山地区で、「脇山茶」を栽培しています。生産が一時途絶えましたが住民らが復活させ、今年も新茶の摘み取りが行われました。茶畑を管理する「脇山あぐり倶楽部」の馬場康平さん(40)は「産地の歴史と味をたくさんの人に知ってほしい」と話します。
栄西が持ち帰った茶の種
「水出しは甘みが出やすい。色も濃くて、ホットならお湯を2、3回替えても色味や風味が続きます」と、馬場さんが袋詰めされた今年の新茶を見せてくれました。
茶畑は福岡、佐賀両県にまたがる脊振山の北麓にあります。福岡市中心部からは車で40分ほどの山間で、のどかな田園風景が広がっています。
この地域は鎌倉時代初期、同市博多区の聖福寺を創建した僧侶・栄西が、中国から持ち帰った茶の種をまいたとされ、脇山中央公園には記念碑が立っています。馬場さんは「脊振山にまいたのが日本茶の歴史のはじまり。この場所は日本で歴史が最も古いお茶の産地とも言われています」と教えてくれました。
古くから続いた茶栽培は昭和初期に盛んになり、製茶工場なども建てられました。しかし、茶農家の高齢化などから1990年代後半には生産が途絶えてしまいました。
転機は2002年。地区に直売所が設置されることになり、「脇山茶を復活させたい」と地元有志が立ち上がりました。メンバーに茶栽培の経験はなく、一大産地の福岡県八女市で指導を受け、機具も同市内の茶農家から借り受けました。
畑の整備から2年、煎茶の商品化にこぎつけ、脇山茶が復活しました。馬場さんを含む10人ほどで脇山あぐり倶楽部を結成し、茶畑の手入れを続けています。
■発祥の地は佐賀県にも
佐賀県吉野ヶ里町にも栄西が茶の種をまいたという言い伝えがあります。かつて脊振山の南側にあった霊仙(りょうせん)寺は、栄西が持ち帰った種をまき、製法を伝えたといいます。「日本茶樹栽培発祥の地」とされ、寺の跡には記念碑と当時の名残の茶の木があります。地元では「栄西茶」の名で栽培され、特産品として販売しています。
今年も新茶ができました
脇山茶を栽培する福岡市内唯一の茶園は、スギとヒノキに囲まれた標高250~300メートルの場所にあります。山からの風が新芽を傷める霜を防ぎ、昼夜の寒暖差が茶葉のうまみを深めるといいます。広さは約30アール、年間約1.3トンを出荷します。
植えられている茶樹は在来種で、樹齢70年を超えるそうです。例年、5月の大型連休の前後に一番茶を収穫して煎茶にし、生育状況が良ければ二番茶、三番茶を秋頃にかけて摘み取って紅茶などに加工します。馬場さんは「復活させた地域の宝を絶やすことのないよう守り続けたい」と話します。
茶摘みには馬場さんや地元JAの青年部などから10人ほどが集まり、機械を使って3~4時間かけて新芽を摘み取りました。収穫した葉はその日のうちに委託先の八女市の工場に運ばれました。
地域のファン増やしたい
脇山茶の復活から約20年。購入できる場所は、脇山地区の直売所「ワッキー主基(すき)の里」のほか、JA福岡市の「博多じょうもんさん」、市役所1階のカフェと広がってきました。
2019年には、同市で行われた「G20 財務大臣・中央銀行総裁会議」で、脇山茶を紹介する機会を得ました。ブースを出し、レセプションで外国人ら約200人に冷茶を振る舞ったところ、「飲みやすい」「食事に合う」と好評だったそうです。
馬場さんは「知名度は少しずつ上がってきた。魅力をさらに広めたい」と、あぐり倶楽部から原料を購入して脇山茶を使ったジェラートを独自に開発しました。女性や子どもを念頭に、さわやかな風味が伝わるよう心がけたといいます。
煎茶の粉末を練り込んだジェラートは、抹茶とは違って葉や茎の渋みが感じられ、茶をそのまま口にしているような感覚です。イベントなどに出向いて販売する計画でしたがコロナ禍で思うようにならず、「この夏こそは」との思いを強くしています。
「お茶は古くから、人と人をつなぐコミュニケーションツール」と話す馬場さん。「脇山茶で地域に興味を持ち、この地域を好きになってくれる人を増やしたい」