いつの時代もゾウは人気者!新しい仲間を待つ福岡市動植物園
昨年のおわり、うれしいニュースがもたらされた。福岡市動植物園に、「はな子」が死んで以来7年ぶりにゾウがやってくるという。動物園の顔として、いつの時代も人気者のゾウ。戦前から戦中のわずか11年間、ゾウの姿を門にあしらった福岡市の動植物園が、現在の東区馬出にあったことを知る人も少なくなったのかもしれない。
わずか11年で閉園に
旧福岡市動植物園は1933年(昭和8年)の8月20日、現在の市立馬出小学校の周辺に開園した。福岡市総合図書館(早良区)に行くと、当時の福岡日日新聞の紙面をマイクロフィルムで閲覧できた。
「けふから開演 坊ちゃん嬢ちゃんのよきお友達が出来た」の見出しが紙面に躍る。ゾウやライオンなど14枚の写真が大胆にレイアウトされ、「全国六大動物園のお仲間入り」との活字も当時の”興奮”を伝えている。建設資金の多くは市民からの寄付によるものだったそうだ。
一方、同じ日付の夕刊の1面には「五・一五事件、陸軍側求刑」の見出しが――。市民の暮らしに、戦争の足音が近づいていたことがうかがえた。
旧動植物園は、1.7ヘクタールの敷地にゾウやライオン、オットセイなど哺乳類65種、鳥類124種が飼育され、植物も100種以上を数えたという。戦局悪化のため1944年に幕を閉じることになり、その翌年に終戦を迎えた。
馬出小の校庭には、修理・復元された動物園の門の一部が残っている。
キリンのシルエットのような高さ約4メートルの門柱の上部で、向かい合ったゾウが鼻を高々と上げている。当時も園のシンボルだったゾウ。なかでも「フク」は戦争の影が迫る中で、餌や薬が十分でなかったため飼育員の看病のかいなく死んだ。このことは、市教委が作成した小学1、2年用の人権読本「ぬくもり」でも紹介されている。
本土決戦も現実味を帯び、存廃が議論された動物園。爆撃によって獣舎が破壊される恐れもあり、ライオン、トラ、カバなどの猛獣は閉園の翌月に殺処分となり、小動物は剥製(はくせい)などにされたという。
馬出小では、福岡大空襲があった6月19日、犠牲になった動物のことを門の前で1年生に話す。「戦争がなければ、動物たちが死ぬことはなかっただろうね。飼育員さんの気持ちはどうだったのかなあ」。児童に問いかけ、平和の尊さを考えてもらう。
旧動植物園は「アシカ池」などの愛称で呼ばれた池があった。馬出小にも規模を小さくした池があり、児童たちがフナやメダカを観察しているそうだ。
アシカ池には、海獣を観察するための浮見堂があった。空襲を逃れたこの六角形の建物は、中央区の大濠公園に移設され、公園の象徴として市民に親しまれている。
着々と受け入れ準備
一方、開園から70年を迎えた現在の動植物園。正面ゲートでは、馬出小に残るものと同じ、一対のゾウをあしらった門が子どもたちを迎えている。
佐藤広明園長(60)によると、エントランスの改修に合わせ、馬出小の門を移設できないかを検討したが実現しなかった。このため2018年にレプリカを作ったという。
早ければ3月末にも、園の仲間に加わる4頭のアジアゾウ。当初は22年に迎える予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大やミャンマーでの軍事クーデターにより計画が頓挫し、大幅に遅れた。園ではこの間、ゾウ舎の改修や新築を進めてきた。
ゾウ舎の上には、園内を一望できるデッキを備えた展望休憩施設「ヤンゴン館」が昨年12月に完成した。従来の約3倍の広さの放し飼い場も整備が進み、ゾウが水浴びや泥浴びをし、急な坂を上る様子なども見学できるという。
やってくる4頭は3歳から22歳で、うち2頭は親子という。体の大きさに似合わず、臆病で神経質とされるゾウ。しばらくの間は新しい環境に戸惑うかもしれないが、少しずつ福岡になじみ、穏やかに過ごす姿を見られることが今から楽しみだ。