伝統美に驚きと喜びを 博多人形の可能性に挑む西山陽一さん
記事 INDEX
- 好きなもの、作りたいもの
- 時代に追いつく新しい挑戦
- 自分にしかできない表現を
鳳凰(ほうおう)などを描いた本物そっくりのリンゴ、今にも鳴き出しそうなセミ、上下をひっくり返すと違う表情に見えるだるま――。これらを博多人形で表現する。美人ものや歌舞伎ものなどで知られる伝統工芸の世界で、新しい時代の作品に果敢に挑む博多人形師・西山陽一さん(44)の活動が注目されている。
好きなもの、作りたいもの
西山さんは若手博多人形師の登竜門「与一賞」を2007年に受賞し、博多祇園山笠・大黒流(ながれ)の舁(か)き山笠(やま)の人形も手がける実力派。年末年始は福岡市で、1月下旬から富山市で展示会を開くなど、その斬新な作風が各地で関心を集めている。
伝統的なイメージばかりに固執することなく、自分の好きなもの、作りたいものを追い求め、新たな作品に挑戦し続ける西山さん。福岡県太宰府市にある自宅兼工房を訪ね、創作に対する思いを聞いた。
西山さんのユニークな人形作りの背景には、幼い頃から抱いてきた「人を驚かせ、感動させたい」という強い思いがあるようだ。
小学校低学年のころ、吃音(きつおん)の症状があり、人と話すことにコンプレックスを感じていたという西山さん。引っ込み思案になった西山さんにとって希望となったのは、夢中で描いていた絵や工作が、周囲に思いのほか評価されたことだった。
「すごいね!」「どうやって作るの?」――。周りの人たちが驚き、喜んでくれるのを目にして、これから歩む道が開けていくように思えた。いつの間にか吃音の症状も出なくなっていた。
時代に追いつく新しい挑戦
「自分が生き生きできるのは美術の世界だ」。生きる支えをアートに見つけた西山さん。越県して通った高校で美術を専攻して油絵や陶芸を、九州産業大学の芸術学部では彫刻を学んだ。一時は彫刻家を目指したが、「なりたいからなれる、という世界ではない」。就職活動の時期を迎えた頃に出会ったのが博多人形だった。
福岡市・天神で開催されていた博多人形の新作展にたまたま立ち寄った。大量生産ではなく、一つひとつ心を込め、時間をかけて作られた人形。美術品としてその価値が認められ、生み出した作品を販売する場があることを知った。
絵画、陶芸、そして造形――。「この道ならば、これまでの勉強が生かせるはず」と、作家として歩んでいく自らの未来を想像することができた。
博多人形師・國崎信正さんに師事し、4年後に独立する。写実的な作品や、伝統技法を用いた細やかな表現が評価され、受賞を重ねた。
江戸時代に始まったとされる博多人形。人形師はあらゆる分野の作品を手がけていたが、やがて着物姿の女性が主流になり、博多人形のイメージが定着していった。
百貨店の担当者の助言を受け、伝統の流れをくむ作品に向き合っていた西山さんだが、あまり売れないこともあったという。「決められた枠の中で表現しても、時代に追いつけない。新しいものに挑戦したい」と考えるようになっていく。
「見た人が笑顔になり、そばに置きたいと思ってもらえるものを作りたい」。何をテーマにし、どのように表現すればいいのか、自分の理想と重なる博多人形の姿を追い求め、模索する日々が続いた。
自分にしかできない表現を
西山さんの代表作の一つに「だるまるだ」と名付けたものがある。上下をひっくり返すと、だるまの怒った顔が柔和な笑顔に。置物として飾るだけでは面白くないと、だまし絵にヒントを得て、見て触って楽しめる博多人形の新しいカタチを表現した。
昨年暮れに福岡市内で開いた個展では、供え物にされる果物への感謝を表した「ありがた実」を披露。「これ本物?」「おいしそう」と注目され、来場者からは「博多人形でこういうものも作れるのですね」と感嘆の声が寄せられたという。
初めの頃は「こんなことで、みんな楽しんでくれるだろうか?」という迷いもあったそうだ。しかし「自分にしかできない表現、関心を持ってもらえる作品を」との思いを強く持ち、創作に打ち込んできた。
それを象徴する作品に、夢中で虫を追いかけた思い出から生まれた「アブラゼミ 夏の記憶…」がある。あまりのリアルさに展示会場で悲鳴を上げた人もいたという。粘土でどこまで表現できるのか試行錯誤し、粘土の特性を体で覚えることができた思い入れのある作品だ。
子どもの頃の楽しい体験や好きだったものをテーマに作ることが「自分にはぴったりくる」と西山さん。アイデア帳には次の構想をびっしり書き留めている。「博多人形でこんな表現もできるんだ!って、みんなを驚かせたい」と少年のように笑った。