福岡市の漫画家ほあしかのこさん 「鉄子」と「こけ女」のまんが道
記事 INDEX
- 人気漫画の続編でプロデビュー
- 苦しい時代を支えてくれたこけしたち
- 新作はこけし旅!?
「鉄子」から「こけ女」へ――。漫画『新・鉄子の旅』の作者で、福岡市在住の漫画家・ほあしかのこさん。専門学校を卒業後すぐに大手出版社の月刊誌で漫画家デビューするシンデレラストーリーを実現したが、約4年の連載終了後は「燃え尽き症候群」に。ほあしさんを救ったのが東北地方の伝統工芸品「こけし」。こけしがラインダンスで励ましてくれるだって……!?
ほあしかのこさん
1989年生まれ。福岡市在住。月刊IKKI(小学館)『新・鉄子の旅』でデビュー。連載中にこけしの魅力にはまり、2019年に電子書籍『偏愛こけし図鑑』(小学館)を発表。大相撲や宝塚歌劇も愛する。好きな漫画家はさくらももこさん。
編集者が目をつけた明るさ、人柄、愛される絵
小学生の頃から暇さえあれば絵を描いていた。「漫画で食べていきたい」。漫画家になろうと決意したのは高校生のとき。プロを目指す福岡市内の専門学校に進んだ。学校の研修でいくつかの出版社に原稿を持ち込んだところ、小学館の月刊IKKI編集部の目に留まった。
「IKKIは好きでよく読んでましたから。同級生でIKKIに原稿を持ち込んだのは私だけでしたけど……」
ほあしさんの作品を手にしたIKKI編集部(当時)の神村正樹さんは「ちょうど、連載しながら成長していける新人で、明るく、人柄も良く、愛される絵を描ける人を探していました。そんなときに、ほあしさんが原稿を持ち込んできて、欠けていたピースが埋まった気持ちでした」と語る。
『鉄子の旅』続編でプロデビュー
「新しい旅エッセー企画の取材があるんですが、やってみません?」
編集部から一本の電話があり、喜んで上京。当時まだ19歳の学生。千葉県・房総半島のJR久留里線に乗せられ、そこで初めて『鉄子の旅』の2代目作者に選ばれたことを知らされる。「やり方が完全に『電波少年』ですよね。アニメ化もされた人気漫画の2代目作者なんて絶対に無理だと思いました」と振り返る。
神村さんもしたたかだった。「最初に言うと断られると思って言いませんでした」
そこから約4年。首都圏や東北、北陸、九州、中国――。新鉄子の案内役として漫画にも登場するトラベルライター・横見浩彦さんたちと、連載の取材で全国各地を鉄旅しまくった。
「全国でいろんな出会いがあって、初めて体験することばかりで刺激的でした」
楽しい反面、苦労の連続でもあった。専門学校の同級生にアシスタントとして手伝ってもらい、締め切りに追われる日々。昼夜逆転でひたすら漫画を描く生活が日常になった。
「プロ漫画家として何にも分からないままデビューしたので『アシスタントにいくら払えばいいんだろう』みたいな感じでした」。人気漫画の続編を任されてプロデビューしたが、締め切りが怖くて、経験不足を痛感する毎日でもあった。
苦しい時代を支えてくれたこけしたち
新鉄子の連載中、魅力にとりつかれたのが東北旅で出会ったこけしだった。このときは宮城県の鳴子温泉を訪問。漫画家としてもがいていた頃で、「こけしたちが優しく見守ってくれているようでした」と言う。そこから、今では約200体のこけしに囲まれて生活している。
多いときは年に2、3回、こけしのため東北に通った。「こけしたちは締め切りに追われて夜遅くまで作業してたら、『もう寝たら』とか言ってくれるんです」と笑う。
連載終了後は漫画を描かないまま数年が過ぎ、似顔絵を描くアルバイトも経験した。「燃え尽き」を引きずったまま、漫画家として次の一歩を踏み出せないでいた。そんな心の隙間を埋めるように、自宅にはこけしが増えていった。
その頃に描き下ろしたのが『こけしヅカ歌劇団』。仕事に疲れたOLをこけしがラインダンスで励ましてくれる。摩訶不思議な漫画だが、OLの姿が自分に重なった。思うように描けないときも、こけしを眺めていると妄想が膨らむという。この作品を含む『偏愛こけし図鑑』が2019年11月に電子書籍化された。
新作はこけし旅!?
神村さんは言う。「漫画のみならず、ほあしさんの人柄がみんなに愛されていました。初めての連載で、何度も崖っぷちのような局面がありましたが、全ての締め切りを乗り越えてきました。自分の好きなことを思い切り表現して、周りを笑顔にさせるパワーがあります。自信を持ってどんどん自分を表現してほしいです」
コロナ禍の今、昼夜逆転の習慣を少しずつ朝型に戻すなど、生活を見直している。好きな絵を描きたくて漫画家の道を選んだ。「新鉄子からようやく、心身ともに好きな漫画が描けるようになってきました。これまでのこけし巡りの旅も漫画にするつもり」と話す。鉄道からこけしへ。漫画家・ほあしかのこの新しい旅が始まりそうだ。