五輪マスコットの生みの親 谷口亮さん「挑戦し続ければ、いつかはきっと」
記事 INDEX
- マスコットが生まれた場所は
- コロナ禍の生活は「好きなこと>仕事」
- 福岡の陽気さが生んだキャラクターたち
東京五輪・パラリンピックのマスコット「ミライトワ」「ソメイティ」の作者で、福岡市在住のイラストレーター・谷口亮さん。五輪・パラリンピックは新型コロナウイルスの影響で、来年夏への延期が決まった。開催への願い、"アフター・オリパラ"へ向けた次なる挑戦を聞いた。
谷口亮さん
1974年生まれ。福岡市出身。イラストレーター。東京五輪・パラリンピックの大会マスコット「ミライトワ」「ソメイティ」をデザイン。全国の小学生の投票で最多の10万9041票を獲得して選ばれた。夏はアロハシャツ、冬はどてらがトレードマーク。
五輪マスコットに選ばれて
地方在住のイラストレーターが成し遂げた快挙。「夢じゃないだろうか……」。2018年2月28日、今ではトレードマークになった愛用の「どてら」姿で、カメラのフラッシュをあびた。苦労をかけた妻に向けた言葉が話題になった。「回らない寿司屋に連れて行きたい」
今回のインタビューが行われたのは、東京パラリンピック開幕まで2度目の「あと1年」を迎えたばかりの日だった。
「命に関わること。残念ですが、どうしようもない」。冷静に延期を受け止めた。大会マスコットに選ばれ、大会組織委員会の仕事をそばで見てきて、「組織委の方々の大変さは肌で感じてきました」。だから、開催を望む気持ちは人一倍ある。ただ、ミライトワとソメイティが活躍する姿を想像しても、未知のウイルスの脅威を思うと「無理矢理に開催することはできない。これは災害。来年もできるだろうか」と不安が頭をもたげる。
ミライトワが誕生した瞬間
キャラクターのイメージが舞い降りてきたのは、「舞鶴公園」(福岡市中央区)のお堀端を、自転車で天神へ向かっていたとき。とっさに自転車を止め、持っていたメモ用紙に鉛筆を走らせた。
モットーにしていることがある。「かわいく、自分が欲しいものじゃないと嫌」
そして何より、シンプルさを追求する。
ミライトワには当初、聖火を模した「ちょんまげ」があった。サムライ、ニンジャ――。いわゆる「日本風」なデザインを思い描いていたが、五輪エンブレムに採用された市松模様を生かし、まげを消した。
コロナ禍の生活は「好きなこと>仕事」
コロナ禍の今、仕事の依頼は減った。「暇になったので、好きなことをしています」。ここ数年、力を入れているフィギュア制作に取り組んでいる。これまで、海外でのイベントで販売し、いずれも好評だったという。
フォルムには徹底的にこだわる。ミリ単位で膨らみを盛ったり、削ったり。「誰にも気づいてもらえないだろうけど、『もう少しぽっちゃり』とか、あるんですよね。自分のこだわりっていうか」
ドラえもん、トムとジェリー、ユニコなど、幼少期に愛したキャラクターはいずれも丸っこくてかわいい。「それから少ししたら、SDガンダムとかビックリマンも。かわいくて、かっこいいのが好きでした」。小学2年からは『週刊少年ジャンプ』(集英社)を買い始め、現在に至るまで一度も買いそびれたことはないという。
絵が描けて、漫画好き。当然、漫画家になりたいと思った時期もあったという。漫画家にならなかった理由は「コマごとに何度も同じキャラを描くのが苦痛で、背景を描くのも大嫌い」だから。特徴や設定をカタチにしながら、一つのキャラクターを作り込むのが好きだという。
福岡の陽気さが生んだキャラクターたち
五輪・パラリンピックのマスコットにデザインが採用された後も、仕事が以前より増えたこと以外は、福岡での生活に変わりはない。
福岡はポジティブなエネルギーが強い街だと思っている。「陽気な人が多くて、『福岡が好き』というエネルギーにあふれている」と言う。米国に留学した4年間を除いて、福岡を離れたことはない。東京進出の考えも全くないそうだ。
「自分の作品にも、福岡のエネルギーは影響しているんじゃないかな。妻は僕がつくるキャラクターを『陰がなくていい』って褒めてくれます」
チャレンジし続ければ
昨年、タカラトミーアーツが商品展開を開始した「ジャパンダ」のデザインを担当した。念願だったキャラクタービジネスへの挑戦が始まった。今後、いくつものグッズ展開が控えているという。
そして、もう一つの夢。「海外での仕事に挑戦したいです」
人生は何が起きるか分からない。五輪・パラリンピックのマスコットに選ばれたことも、その大会が延期になったことも。「ミライトワとソメイティがなかったら、コロナ禍でイラストレーターとしては死んでたかもしれない」。紛れもない本心だ。
ただ、何が起きるか分からない人生で、身をもって体験し、学んだことがある。「チャレンジし続ける。そうすれば、いつかはきっと」