無機質な日常に彩りを 街なかに夫婦で描くスプレーアート
記事 INDEX
- 2人で「よかpaint」
- 地域のシンボルに
- 点から面になれば
街なかの無機質な壁やシャッターに描かれた色鮮やかな絵――。スプレー缶を自在に操って生み出されるアート作品が、変化の少ない日常の”刺激”になるだけでなく、街のにぎわい創出にもつながると関心を集めている。
2人で「よかpaint」
仕掛け人は、福岡市の小栗スチュワート健太さんと妻の浩子さん。2人で活動する「よかpaint(ペイント)」がこれまでに手がけた“アートな壁”は数千点に及ぶという。
オーストラリア出身で建築家でもある小栗さんは、幼い頃からスプレー缶を手にしていたそうだ。6年前に拠点を福岡に移し、夫婦で壁に向かっている。活動は福岡県内に限らない。依頼があれば各地に赴き、これまでに大阪市のヨドコウ桜スタジアムの巨大壁面などを手がけてきた。
世界各地の壁をキャンバスにしてきた小栗さん。福岡でまず描いたのは、福岡市中央区にあるイタリアワイン酒場「ヴィノリア バッソ」のシャッターだった。当時の自宅の近所にあった店の前で、シャッターを開けている店主と顔を合わせ、スプレーアートを提案した。はじめこそ、「店に落書きするの?」という反応だったが、自身の作品を見せながら、街なかアートのすばらしさを説くと快諾を得られたという。
普段は見向きもされない壁やシャッターが店の”顔”に変わり、道行く人の印象にも残る。スプレー缶を手に作業していると、「何を描いているのですか」と声をかけられることも多いそうだ。人懐っこい夫婦の笑顔に引き寄せられるように、「ウチにも描いてもらえないだろうか」と依頼が増えていった。
最近の代表的な作品が広島県坂町にある。「豪雨被害の復興のシンボルに」と町に依頼された。小栗さんはまず地元の人たちにその土地の特徴や歴史をじっくり聞き、それから一緒にデザインを考えていく。
坂町では、江戸時代から受け継がれてきた伝統芸能や、地域の誇りである祭りを題材にすることで意見がまとまった。白い壁の一面に、海の中を御輿(みこし)が進む壮大な絵巻が広がった。
制作には2か月ほど要した。その間、「町の部長さん」の実家に夫婦で泊まり込み、時には地域の人たちに幼児2人の子守をしてもらいながら、2024年に長さ40メートルの大作が完成した。
地域のシンボルに
福岡県糸田町にある「ケーキハウスボヌール」のシャッターには、地元の中元寺川の桜並木と金山アジサイ園の花々が描かれている。「花が見られるのは短い期間。自慢の景色をいつでも楽しめたら」とリクエストされた。離れたところからも見えるため、地域のシンボル的存在として定着し、ここを目印にして訪れる人もいるそうだ。
同県田川市の伊田商店街は、長さ約450メートルに50点ほどのシャッターアートがあり、SNS映えするアーケードとしても知られる。制作を前に現地で話を聞いて川渡り神事の魅力を知り、祭りのイメージを膨らませて描いた。
田川市の桜の名所として知られる丸山公園の壁画も夫婦によるものだ。2020年に新たに野外ステージと壁が整備されるタイミングで、伊田商店街の作品が評価されて依頼を受けた。中央の壁に見事な一本桜、その両脇にメジロが描かれている。
そばで見ると、花びらや光の濃淡が繊細に描かれているのが分かる。ステージに向かって腰を下ろしていた女性は「冬でも桜が見られて、うれしいですね。春めいた日には、弁当を持ち寄って”お花見気分”を楽しむ人たちもいますよ」と教えてくれた。
福岡県福智町の方志(ほうし)工業からは、倉庫に会社のロゴを描いてほしいと頼まれた。田んぼが広がる周辺環境を考慮し、水と光をイメージした図案を提案すると、「すごくいい。これでお願いします」とすぐに決まったそうだ。
点から面になれば
福岡市早良区の高取商店街にあるサイクルショップ「カイト」の壁面には、眼光鋭い鷹(たか)が描かれている。福岡ソフトバンクホークスと高取商店街にかけて「鷹」にしたという。「想像を超える出来栄えで、記念写真を撮る観光客の姿もよく見ますよ」と店長の川上淳一さんは喜んでいた。
日本ではまだなじみが薄いスプレーアートだが、欧米では街づくりの手法の一つとして定着し、病院などでも当たり前のように見られるという。アートに触れて前向きな気持ちになる効果も期待されているようだ。
健太さんが育ったオーストラリアのメルボルンでは、街の随所でストリートアートを目にするそうだ。市街地に点在する壁画を巡るツアーもあり、メルボルン観光の名物にもなっている。
「美術館に行かなくとも、街の風土や文化が壁一面に描かれたアートに出会える。つらいことがあっても、絵を見て気分転換してほしい」と浩子さん。街なかのアートの芽が、点から面になり、広がっていけば――。小栗さん夫婦の願いだ。