ソメイヨシノ、今年も見事に 地域で守った「桧原桜」の物語

和歌の交流を通して延命し、今年も満開を迎えた桧原桜
記事 INDEX
- 和歌の交流を通じ
- 行政に願いが届く
- ともに語らん花心
天を覆うようなソメイヨシノの花びらは、やはり見事だった。ひときわ美しく感じられたのは、今もこの地に桜がある経緯を知っているからだろう――。福岡市南区の桧原(ひばる)桜公園で、樹齢約100年の桜が今年も花開き、春の調べを奏でている。
和歌の交流を通じ
40年以上前、道路拡張のため伐採の危機を迎えた桜が、延命を訴える地元住民と福岡市長との和歌を通した"粋な交流"をきっかけに救われたというストーリー。地元を中心に語り継がれる「桧原桜の物語」の舞台を定点観測した。
間もなく桜が開花しようという1984年の3月上旬。池のほとりにある9本の桜が道路拡張に伴って伐採されることになった。1本目が切られた翌日の早朝、桜を楽しみにしていた住民の一人、土居善胤(よしたね)さん(96)は、自作の歌をしたためた色紙を桜の幹にこっそりとくくりつけた。
花守(はなも)り 進藤市長殿
「花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花を ゆるし給(たま)え」
つぼみをたくさん付けた桜が切られるのはかわいそう。せめて開花までの20日ほど、伐採を待ってほしい――。そんな切ない思いを歌に託した。
偶然も重なり、土居さんの歌が写真とともに新聞などで紹介されると、つぼみが膨みつつある桜のはかない運命を惜しむ声が広がった。"助命"を求めて、木に結ばれた色紙や短冊は50枚ほどに増えた。「同志が現れたと思った」と土居さんは振り返る。
行政に願いが届く
短冊の中には、「桜花(はな)惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん 花の心は」(香瑞麻)との歌もあった。
当時の福岡市長・進藤一馬さん(故人)の返歌だったことが後に明らかとなる。「香瑞麻」は、一馬の名をもじった市長の号だった。「桜の木は切り倒されるかもしれない。けれども桜を愛する心は確かに受け止めました」。そんな気持ちを詠んだものだった。
「胸がつまった。ありがたく思った」と土居さん。その後、市職員らは桜を残すために奔走し、池の一部を埋めるなどして、8本の桜は歩道の中に組み入れることで命を永らえることになった。
一帯は桧原桜公園として整備され、13本に増えた桜が美しい花を咲かせている。市民の願いが歌を通じて市政を動かしたエピソードは「桧原桜物語」として知られるようになり、福岡市内の小中学校で道徳の教材に取り上げられるようにもなった。
公園に近い市立西花畑小では、4年生の児童が総合的な学習の時間に、地域のシンボルとして守られてきた桧原桜の歩みを学んでいる。市や地域の公民館で聞き取りした話をまとめて作られた壁新聞は、南区役所の2階廊下や、西花畑公民館に掲示された。
児童たちの詠んだ歌が公園内で披露されるのも、地域の風物詩になっている。子どもたちが素直な思いを託した歌を楽しみに訪れる人も多いそうだ。
ともに語らん花心
「花守り」たちによる風雅な歌問答の物語は、土居さんの著書「花かげの物語」(出窓社、2002年)に記され、舞台裏の話も披露されている。
当時、伐採の延期を知った土居さんは、年度末の工事計画の変更に翻弄(ほんろう)された現場の人たちを思い、胸を痛めたという。
そこで、「感謝のしるしです。ささやかですが、皆様の花見に近くでお役立てください」。「これぐらいでは、違反にはならないでしょうから」(桧原桜から)と、匿名でビール券を福岡市の土木局に贈ったそうだ。
すると数日後、「池畔(ちはん)で ともに語らん 花心 土木局街路課、四月六日夜六時」と、桜の木に新しい短冊が加わった。「ここで花見をしましたよ」という市役所の人たちからのメッセージだった。
1年ほど前に桧原桜にまつわる歌問答の話を知ってから、満開の桜をぜひ見てみたいと思っていた。近くを通る機会があれば公園へ足を延ばし、花守たちの当時のやりとりに思いをはせた。
セミの鳴き声が響いていた夏に続き、寒風が吹きつける冬にも桧原桜を訪ねた。あと数か月でこの枝が、どのように生まれ変わるのだろうかと想像しながら、花が咲き誇る春を心待ちにしてきた。
福岡市では2年に1度、「さくら」をテーマに短歌を寄せてもらう「桧原桜賞」や、桧原桜公園内で撮影した桜の写真を募るフォトコンテストを行っており、今年は開催の年にあたる。これを機に、一句紡いでみるのも面白そうだと思った。