東日本大震災15年、はと風船が宮城の空へ 西南学院生ら寄せ書き
学生らが思いを寄せたはと風船の一つを手にする山口さん(左)と丹野さん(中央)ら
東日本大震災で多くの住民が亡くなった宮城県名取市の空に毎年3月11日、追悼のメッセージが書かれた鳩(はと)形の風船が放たれる。3年前からは、西南学院(福岡市早良区)の大学生らも思いをつづる。津波で13歳の息子を亡くした名取市の丹野祐子さん(57)と西南学院の職員、山口由美子さん(58)との縁で始まった取り組みで、山口さんは「被災地の方に『忘れていないよ』と伝わったらうれしい」と話す。
職員と被災者の交流を機に
西南学院は、震災翌年の2012年に大学内にボランティアセンターを設置。希望して現地に派遣された学生は、がれきの片付けや土砂で汚れた写真の洗浄のほか、被災者との交流を行ってきた。
現在、小学校事務長の山口さんは、21年までセンターに勤めた。活動の一環で名取市を訪れた際、丹野さんと知り合った。部署を移ってからも家族で再訪するなど親交を深めている。
同市沿岸の閖上(ゆりあげ)地区に住む丹野さんは震災当日、市立閖上中3年だった長女(30)の卒業式に出席していた。式後に近くであった謝恩会が終わろうとしていた午後2時46分、揺れに見舞われた。
避難する途中、同中1年の長男・公太君と離ればなれになり、そこへ津波が襲ってきた。再会できたのは2週間後、遺体安置所だった。義理の両親も帰らぬ人となった。同市によると、人口約7000人の閖上地区では754人が震災で亡くなった。
丹野さんは心に大きな傷を負いながらも、犠牲となった同中の生徒14人の名前を刻んだ慰霊碑や伝承施設「閖上の記憶」を仲間と建てるなどしてきた。「生き残ってしまった親である私の務め」と、語り部や講演の活動も続ける。
8年前に自宅を再建した際、公太君の部屋も設けた。震災の翌週から毎週、公太君が好きだった「週刊少年ジャンプ」を買い続け、その数は700冊以上に上るという。「『ただいま』って帰ってこないかな」との願いからだ。
天国にいる大切な人たちへ
13年からは3.11に、はと風船を飛ばすイベントを開く。環境に配慮して日光で分解される素材でできており、「天国にいる大切な人たちに届けたい」とメッセージをしたためる。
この取り組みを知った山口さんは、西南学院の大学生や小学生たちからメッセージを書いてもらい、3年前から丹野さんに届けてきた。
今年1月には、「被災者の声を直接聞いて、子どもたちに命の大切さを感じてもらえたら」と丹野さんを初めて西南学院に招き、講演会を開いた。保護者や職員も含め約500人が「みなさんのことを忘れません」「日々を大切に生きていきます」などと寄せ書きした風船51個を、丹野さんに届けた。3月11日に閖上地区の空に飛ばされる予定だ。
丹野さんは「震災後に生まれた子どもたちも協力してくれ、次の世代にバトンが渡っている気がする。遠く離れた場所から思いを寄せてくれる方がいることに、感謝しかない」と語った。







