大學湯で『飯舘村に帰る』を見る、囲む、聞く 福原悠介さんインタビュー

飯舘村のポニーが印象的な「大學湯上映会」のDM。SNSで告知して3日で定員に達した(提供:PETRA)

記事 INDEX

  • 撮ったものがどう届くのか
  • 記憶が響きあう「大學湯上映会」
  • 人を訪ねて、聞く、撮る

 東日本大震災による原発事故の影響で、全域が計画的避難区域に指定された福島県飯舘村。2017年3月に避難指示が解除され、仮設住宅などで約6年間暮らした住民の一部は帰村しました。その住民たちの"語り"を記録した映像作品『飯舘村に帰る』が、福岡市東区の「大學(がく)湯」で6月27日(月)に上映されます。制作した映像作家・福原悠介さんに、作品や今回の上映会への思いを聞きました。


福原 悠介さん

1983年仙台市生まれ。映像作家。民話語り・アートプロジェクトなど地域の文化と、そこに暮らす人々の日常を記録する。おもな監督作に『立町三部作』(2021年)、『家にあるひと』(2019年、東京ドキュメンタリー映画祭2019短編部門奨励賞)、『飯舘村に帰る』(2019年)。

撮ったものがどう届くのか

――『飯舘村に帰る』は、東京より西では初上映だそうですね。  

 これまで上映したのは仙台、山形、東京で5、6回です。僕は飛行機が苦手で、九州も福岡も初めて。仙台から鉄道で地方の小さな書店を巡る3週間ほどの旅を計画していて、福岡で途中下車して上映会をします。旅のゴールは熊本市の橙書店です。


リモート取材に応じる福原さん

――鉄道で! 映画館ではなく書店を回るのですか?

 2018年に仙台市内の映画館「セントラル劇場」が閉館したとき、記録集『セントラル劇場でみた一本の映画』を企画・編集しました。「映画を見た個人の経験」を残そうと、この映画館で作品を見た人たちのエッセイ集にしたんです。映画作品をよりどころに、他の地域の人も自らの鑑賞体験と結びつけて読んでくれるかも、と。


約30の地方書店で販売されたリトルプレス『セントラル劇場でみた一本の映画』。再版未定(提供:PETRA)

 記録集がどんな人や地域につながるのか、「ローカルの普遍性」を探りたくて。2019年に新潟や大阪の書店で、お客さんと地元の映画館の思い出を語りあう場を持ちました。今回は「自分がつくったものが他の地域にどう届くのか」を見にいく旅の第2弾ですね。九州ってどんなところか楽しみです。

――福岡には取り扱う書店がないのですが、上映会をしようと思ったきっかけは。

 東京や福岡で活動するカメラマンいわいあやさんが、僕の作品『家にあるひと』『飯舘村に帰る』を見てくださって。二つの作品を「変わりつつある町と人の関係を撮っていますね」とつなげて見てくれたことが新鮮でした。作品と福岡のことをよく知っているいわいさんに、旅先で上映会をしたいと相談したんです。


福原さんが祖母を撮った作品『家にあるひと』(提供:PETRA)

――『飯舘村に帰る』はどんな視点で撮った作品ですか。

 ストーリーを描く映画ではなく、インタビュー集という「記録」です。仮設住宅から帰ってきた飯舘村の人たちが語る姿を撮っています。大きな社会問題として震災を記録する発想から一歩離れて、飯舘村という土地に住む人々の暮らし、小さな話を聞いて記録しました。村がどんなところかとか、嫁入りや若いころに家出した話とか。


『飯舘村に帰る』には60〜90歳代(撮影時)の7人の語り手の姿が記録されている(提供:PETRA)

――今、福岡で上映したいと思ったのはなぜでしょう。

 震災から11年経って、東北では良くも悪くも「落ち着いてきた」印象があります。遠く離れた九州はなおさらではないでしょうか。社会問題として向きあうより、「目の前にいる人の話を聞く、顔を見る」ことができる時期に来ている気がするので。


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記憶が響きあう「大學湯上映会」


2012年に廃業した大學湯は、2021年にコミュニティースペースとして生まれ変わった。銀ソーダさんは運営団体「一般社団法人DGY」の理事でもある

――上映会は築90年の銭湯を再生した「大學湯」で行われます。

 ホールみたいに均質な場所じゃないのがいいですよね。「大學湯」には町の人たちの声やお湯の音が刻まれていて、場所自体が記録であり記憶でしょう。上映作品も村の人たちの記憶なので、ぴったりです。大學湯を拠点にするアーティストの銀ソーダさんが「記憶と時間の可視化」をテーマに「層を積み重ねる」スタイルで制作されていると聞いて、不思議な巡りあわせだなあと。


銭湯時代のタイルを剥がし、壁一面に「青」の層を重ねて描いた銀ソーダさんの作品『創造』(提供:DGY)

――コロナ禍が落ち着きはじめて、銀ソーダさんは「やっとこの場で集える」と。

 ああ、わかります。映画も自宅でリモート視聴する人が増えているので、一つの場で1本の記録をみんなで見る感覚を思い出したいんです。他の人と一緒に映画を見ると、言葉を交わさなくても、感情や笑いが伝わりあうことってあるでしょう。他者とともにあることで、自分の感覚や考えに気づけるというか。

 『飯舘村に帰る』は浴びるように見るよりも、積極的に関わって見る作品だと思います。多くの人と見る方が、自分と記録の関係性が深まるのではないでしょうか。

―― 「記録に積極的に関わる」とはどういうことでしょう。

 震災について語る場では、「当事者」と「非当事者」が長らく分断されてきました。被災地から遠くにいる人は、「何も言えない」「自分が考えていいのだろうか」と、線を引きがちでしたよね。

 ともに記録を見る、囲む、聞くことで、「当事者性」という線を越えられる予感がして。震災から時間が経つにつれ、記録と向きあうこと自体が、別の仕方で「当事者」になることではと感じるようになりました。九州でも地震や水害がありましたよね。関係ないと思っていたことが、身近に起きたこととつながるかもしれません。


上映会トークを行う予定の「湯船ステージ」。「知らないことを、自分ごととして知りたい」と銀ソーダさんも楽しみにしている

――上映会では銀ソーダさん、とんちピクルスさんによるミニライブも予定されています。

 上映とライブを組みあわせるのは初の試みです。『飯舘村に帰る』は余白のある記録なので、アートや音楽など別の表現と響きあって場に何かが生まれそうだなと。


銀ソーダさん。「その場で感じたことを描きたい。私のキャンバスが、みんなのキャンバスになれば」(本人提供)

旅をしながら演奏活動を続けるとんちピクルスさん。名曲『湯の花』が聞けるかはお楽しみ


人を訪ねて、聞く、撮る


――撮り手として語り手の前にあるとき、どんなことを意識しますか。

 『飯舘村に帰る』の場合は、もう一人の制作者であり聞き手の島津信子さん(みやぎ民話の会)と村の人たちの「茶のみ話」のような場の雰囲気を撮りたいと。


島津信子さん(提供:PETRA)

 家の中にカメラを持ち込むと空気をかき回してしまいます。自分が異物として邪魔にならないように努めながら、いつもの空気が戻ってきたところで、語る人と聞く人の間に漂う空気を撮ろうとしました。

 一方で、カメラという異物を前にすると、語り手が思いがけないことを語り出す瞬間もある。僕やカメラは「聞く場」において異物であって異物でない、ゆらぐ存在です。

――撮ることは、聞くことなのでしょうか。

 うーん、難しい。僕は聞き手ではなく撮り手です。でも、聞き手の横で聞いているというより、カメラを通して僕自身もまた「聞いている」体感が確かにある。

 僕たちは「被災者」の体験をインタビューするのではなく、飯舘村に生きた人を訪ねて、目の前にいる人の話を聞くんです。その村、その家に「ある」人を撮影することで、存在を受けとるというか。カメラで「撮る」けれど、「聞く」という感覚がしっくりくると今思いました。

――上映後のトーク「震災の記録/記憶を聞く」は、どんな時間にしたいですか。

 僕が話すだけでなく、いわいさんや銀ソーダさん、お客さんと語る時間も持ちたいです。それぞれが、村の人たちをどう受けとったのか。一人じゃ聞けないことも、みんなで「広く聞く」ことはできるかも。そんな話ができたらいいなと思います。



<大學湯上映会> ​※参加受け付け終了
開催日時/6月27日(月)19:00-21:30
開催場所:大學湯(福岡市東区箱崎3-17-24)
(参考)PETRA公式サイト大學湯公式instagram


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