「感謝の気持ちしかない」 鮎川誠さんを悼む声

 日本のロック界をリードしてきたバンド「シーナ&ロケッツ」のギタリスト、鮎川誠さんの悲報が伝わった1月30日、出身地の福岡県久留米市などでは、関係者から驚きや追悼の声が上がった。

「憧れの存在」「突然のことで……」

 鮎川さんは昨年8月、久留米市の石橋文化センターでライブを開いたばかりだった。明善高3年だった1966年に初めてステージに立った思い出深い場所。今年1月号の市の広報に「ここで、またライブができて本当に幸せでした。今年も皆さんにロックコンサートで会えるのを楽しみにしています」とのメッセージを寄せた。
 同市の「くるめふるさと大使」も務めており、市は30日、「久留米のPRに大きく貢献していただいた」として、ホームページに追悼コメントを載せた。


写真撮影でポーズをとる鮎川誠さん(2020年撮影、福岡市で)


 鮎川さんは高校時代、同市篠山町の老舗ラーメン店「沖食堂」によく通っていた。お気に入りは学生に安い値段で提供するため、具材から肉を抜いたチャンポン「チャンドン」。現在は提供していないが、鮎川さんが来店した際は特別に作っていたという。店主の川口渡さん(59)は「突然のことでびっくりしている。また来てくれるのを楽しみにしていたのに……」と残念がった。

 2019年に鮎川さんがライブを開いた同市六ツ門町のライブハウス「久留米ウエポン」。オーナーの溝田直樹さん(44)は「地元出身の大先輩にライブをしてもらい、とてもうれしかった。親しみやすい人柄で、久留米のバンドマンなら誰もが憧れる存在だった」と振り返った。

 鮎川さんは、妻シーナさん(2015年に死去)の地元・北九州市若松区の高塔山野外音楽堂で開かれている「高塔山ロックフェス」に、「シーナ&ロケッツ」として毎回参加していた。
 同区出身でフェスの代表を務める倉掛英彰さん(62)(福岡市東区)は、「昨年のフェスで演奏中に照明が消えるハプニングがあったが、観客がスマホのライトで照らし、印象的なステージだった。あれが最後になってしまった。自分の音楽人生は鮎川さんとシーナさんがいてこそで、感謝の気持ちしかない」と惜しんだ。


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