日露戦争の日本海海戦から118年となった5月27、28日、福岡市東区の筥崎宮で記念大会が開かれた。コロナ禍で中止されていた洋上での慰霊も4年ぶりに行われ、約5000人に上る両国の戦没者を悼んだ。
1905年(明治38年)5月27~28日、福岡県宗像市沖の沖ノ島近海などで日本海軍の連合艦隊と世界最強とされたロシアのバルチック艦隊が激しい戦闘を繰り広げ、日本がロシアを破った。
27日に筥崎宮で式典などがあり、自衛隊や財界の関係者らが参列。「海ゆかば」が吹奏され、玉串をささげた。
玄界灘を航行する海上自衛隊の輸送艦「しもきた」(8900トン)の飛行甲板では、洋上追悼式が行われた。市民ら約500人が見守る中、海自第1輸送隊の小山雅弘司令が海に向かい、「安全保障環境は厳しさを増している。次の世代に平和な日本を引き継ぐよう努力していく」と述べた。米や日本酒、花束などが次々に海に投げられ、弔意を表す汽笛が鳴らされた。