福岡県柳川市の観光拠点・沖端水天宮周辺地区で2024年の年末から25年にかけて、水郷柳川を代表する風景として知られる掘割沿いの柳並木が復活する。市は2年前、病害虫の影響で腐るなどした柳の木を伐採したが、同地区の整備事業の一環で42本を新たに植えることにした。関係者らは「情緒豊かな風景が復活すれば、柳川ファンはさらに増える」と期待している。
同地区には、柳川藩主立花邸「御花」やうなぎ料理店などが並び、多くの観光客が訪れる。市は道路の石畳が傷み、掘割の石積み護岸の基礎が浮くなどしていることから、同地区の掘割沿い計570メートルの整備事業に取り組んでいる。
電線地中化と下水道工事を行うため、2019年に同地区一帯にある47本の柳の木を調査。半数以上で病害虫の影響による幹の空洞化や腐朽が確認され、その後も台風による倒木や枝折れが相次いだ。さらに根が道路や護岸の石積みから張り出すなどしていたため、22年に高さ5~7メートルの35本を伐採した。
伐採後、同地区を訪れた観光客から「旅行前に写真で見た景色と違う」「なぜ柳を切ってしまったのか」といった不満の声が観光業者や市に寄せられたという。
同市出身の詩聖・北原白秋(1885~1942年)も、川下りの舟が行き交う掘割と柳並木の風景を愛した。同市の北原白秋生家・記念館には、白秋が1928年に、御花の「殿の倉」前の掘割に浮かべた小舟で川遊びをしている写真も残っている。
色にして 老木の柳 うちしだる 我が柳河の 水の豊けさ――。市内にある白秋の碑文には、柳を詠んだ詩歌が刻まれている。
市によると、掘割沿いの柳並木は、遅くとも昭和初期には市民に親しまれていたという。2006年度には、市民投票などで柳が市の木に制定された。
計画では、電線地中化などが終わった後の今年の年末以降に、約4000万円をかけて高さ5メートルほどの柳の木42本を掘割沿いに植える。整備事業ではほかにも、歩道を広くしたり、水辺でくつろげる空間を設けたりする。
北原白秋生家・記念館の高田杏子館長は「殿の倉などの建物や、柳並木がある掘割は、白秋が生きた時代と変わらない。白秋が愛した情緒ある風景が戻ってくる日が楽しみ」と期待を膨らませている。
地元の沖端商店会の金子英典会長(54)は「掘割と柳は柳川を代表する風景。インバウンド(訪日外国人客)需要も復活しており、観光客がゆったりと安全に過ごせる観光地づくりにつなげていきたい」と話している。