「親不孝通り」しばらく行ってない問題 公園のキッチンカーから始まる挑戦
記事 INDEX
- チェーン店に流れる客足
- 「親不孝通り」の場所、分かりますか?
- ワンコインからの挑戦
福岡市中央区・北天神地区にある「親不孝通り」の飲食店などでつくる商店街組合が、通り沿いの公園にキッチンカーを出してお弁当などの販売を始めました。高い知名度がありながら、天神周辺の"おしゃれスポット競争"に取り残された親不孝通り。コロナ禍がそこに追い打ちをかけています。かつての輝きを取り戻せるのか。昨年末に法人化した商店街協同組合「親不孝通り商店会」の理事長に聞きました。
チェーン店に流れる客足
「緊急事態宣言は解除されましたが、客足はまだ戻っていません。遅い時間まで食事されるお客さんが減っているように感じます。感染防止の意識に加え、ライフスタイルが自宅中心に変わってしまったようです」。そう語るのは、親不孝通り商店会の河田茂樹理事長です。
実感は数字でも裏付けられています。NTTドコモ「モバイル空間統計」のデータを使って、10月最終週の土曜午後7時の人出を2年前の同時期と比較してみたところ、天神の人出は23.7%減っていました。
商店会が苦心するのが、今の時代にあった親不孝通りの特色づくりです。通りにはすしやレストランのチェーン店、コンビニなどが目立ちます。天神周辺エリアで競合する大名地区や今泉地区などに見られる地域の特性にやや欠ける印象は否めません。
「行列ができるのはチェーン店ばかり。福岡県外のビルオーナーも多く、連携して通りを盛り上げようという一体感に乏しいのが現状です。コロナ以前から天神周辺はテナント料が上がっていて、親不孝通りは人通りに対しての割高感から、個人経営者が手を出しにくいとも考えられます」
若者文化を牽引した「親不孝ブランド」はもはや過去の遺産なのでしょうか。
「親不孝通り」の場所、分かりますか?
「親不孝」の名称が定着したのは1970年代。通りにあった予備校の浪人生が多かったことに由来し、若者が集まる繁華街としてにぎわいました。
しかし、バブル崩壊後は人通りが減って治安も悪化。福岡県警が「愛称につられて集まる若者の非行を助長する」と、福岡市に「親不孝」の愛称を使わないよう要請。2000年に「親富孝通り」に改称されました。その後、県警や地元住民の活動が実り治安は改善し、2017年に「親不孝通り」の名称が復活しました。
その間、九州最大の繁華街・天神は集客力を高め、消費者の立ち寄り先は中心部から西側の大名地区、南側の今泉地区や薬院地区などの周辺に広がりました。一方、北側に位置する親不孝通りの存在感は徐々に薄れていきました。
ワンコインからの挑戦
親不孝通りには、いわゆる商店街組合が存在しませんでした。商店主たちは連携して通りの活性化に取り組もうと、有志による任意団体を組織し、昨年12月には協同組合「親不孝通り商店会」を設立。福岡市の商店街支援補助金を活用して、中古のキッチンカーを購入しました。
キッチンカーは通り沿いの「長浜公園」で11月から営業を本格的に開始。ランチタイムは商店会の飲食店がつくったワンコイン弁当を販売し、夜は焼き鳥などを調理して販売しています。「キッチンカーを集めたイベントを開催したいですね。いつしか毎夜、キッチンカーが並ぶ屋台村みたいになるのを夢見ています」
中心部の大規模再開発「天神ビックバン」によって、建設ラッシュに沸く天神エリア。親不孝通り商店会にとっても期待は大きいようです。
「ランチタイムはオフィスビルで働くお客さんの姿が増えました。まずはランチタイムを中心に親不孝通りでの消費に慣れてもらい、収益率の高いディナータイムの集客につなげることが課題です。『若者の街』から『大人な街』へ主要な客層を変化させていく必要性を感じています」
「コロナ禍という逆風が吹いていますが、なりふり構わずチャレンジしていきたいです」と語る河田理事長。商店会の挑戦は始まったばかりです。