久留米城の本丸がCGでよみがえる 絵図や古写真を基に

CGで再現された久留米城本丸(提供:成田准教授)

 旧久留米藩主・有馬家の居城で、現在は石垣などが残っている久留米城の本丸が、コンピューターグラフィックス(CG)でよみがえった。福岡県久留米市から依頼を受けた久留米工業大の成田聖(さとし)准教授が、わずかに残る史料を基に試行錯誤を重ねて制作した。

久留米工大の成田准教授が制作

 CGの制作は昨年、有馬家の久留米入城から400年の節目を迎えたのを記念して市が計画。市内の4ロータリークラブからの寄付を活用し、建築史学が専門の成田准教授に依頼した。

 城の全体像が分かる史料がほとんど残っていない中、成田准教授は、本丸の間取りを真上から描いた江戸時代や明治時代の絵図、唯一現存する本丸の古写真などを参考に復元に着手。絵図から柱の位置や部屋の広さ、写真から建物の構造や高さを推測し、城跡に何度も足を運んで実際に測量も行った。


本丸の絵図を手に復元の過程を語る成田准教授

 これらのデータを基にコンピューターで設計を繰り返し、約1年かけて完成させた。「同じ時代の他の城などの建物の特徴も参考にしながら、構造に矛盾がないよう何度も手直しした」と振り返る。

歴史をつないでいくきっかけに

 CGでよみがえった本丸は、「多聞」と呼ばれる2階建ての長屋状の建物で囲まれ、敵を見張るために七つの櫓(やぐら)が配置されている。古写真から推測して、建物には大砲を撃つための小窓も設けた。成田准教授は久留米城の特徴について「守りを重視した堅固な城だ」と指摘する。

 史料が少ないため、城の正確な姿を復元するのは難しいが、成田准教授は「普段、自分たちが暮らしている地域にこんな立派な城があったことを知れば、多くの市民が地元を誇りに感じると思う」と話している。

 市は今後、動画投稿サイト「ユーチューブ」やJR久留米駅構内のモニターでCGを公開することを検討している。市文化財保護課の担当者は「市民や観光客に久留米城をPRし、次の100年に歴史をつないでいくきっかけにしたい」と期待を寄せる。


明治時代に撮影された久留米城の古写真(提供:久留米市教委)

<久留米城> 筑後川沿いの小高い丘に築かれた平山城。関ヶ原の戦いの後、筑後一国を治めた田中吉政の支城となり、1621年(元和7年)に有馬豊氏が入城して大規模な改修を行って居城とした。1871年(明治4年)に廃城となった後、全ての建物が取り壊された。本丸跡には現在、篠山神社や有馬家ゆかりの品々を展示する有馬記念館がある。


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