会話のきっかけに 「今日」を描き続ける六本松の眼鏡屋さん
記事 INDEX
- 九大が去った街で
- 「明るい」始まりに
- 地域のつながりを
今日は何の日――? 世界情勢から地域の行事まで”今日の話題”を軽妙なタッチで描き、毎日のように店先に掲げている眼鏡店が福岡市中央区六本松にある。創業60年を迎えた「メガネの光和堂」の2代目店主・大島達男さん(62)が手がけ始めて10年、日替わりの掲示板は六本松地区のちょっとした名物になっている。
九大が去った街で
何のために始め、ずっと続けているのだろうか。尋ねてみると、地域で会話が生まれるきっかけになれば――という思いからだった。生まれ育った街の活気が失われていくことへの危機感も背景にあったようだ。
戦前は旧制福岡高等学校、戦後は九州大学教養部が置かれ、学生街としてにぎわった六本松。国道202号と市道「城南線」が交わり、バスや電車を乗り継ぐ人たちも往来した。
1960~70年頃には、周辺に商店街が三つあり、映画館と銭湯も2軒ずつ営業していたそうだ。文鳥やカナリアを扱う小鳥店や氷屋など、時代を映す個人商店がひしめき合っていた。
2009年、九州大が伊都キャンパス(福岡市西区、福岡県糸島市)に移転し、約6000人を数えた学生や教職員らが街を去っていった。「アッパーパンチのように一気にではなく、ボディーブローみたいにじわじわと影響が出てきました」と語る大島さん。学生たちの歓声が響いていた飲食店の明かりが一つ、また一つ、と消えていった。
「あの店はどうなった?」「元気にやっているだろうか?」。そんな会話が日常的に交わされるようになった。古くからの下宿はコインパーキングに代わり、校舎が取り壊された六本松キャンパスは一面の”空き地”に。「砂漠で商売をしているような感じでした。ウチもいつまで続けられるだろうかと……。寂しかった」と振り返る。
「明るい」始まりに
大島さんが”今日のニュース”を出すようになったのはその頃だ。街なかで見かけたメッセージボードにヒントを得て、その日の話題が生まれるきっかけを作れないだろうか、と考えた。一日が明るく始まれば、地域も元気になっていくのでは――。「絵心はなかった」が、気負わずに始めてみると、どんどん楽しくなっていったという。
掲示板の絵は、毎朝30分から1時間ほどかけて開店前に仕上げる。まずは何かの記念日ではないかを調べ、特に見当たらなければ、時事ニュースや地域の出来事から題材を見つける。「何を描くか、事前に決めることはほとんどありません。気ままに好きなようにやっているから、10年も続けられているのでしょうね」
店を訪ねたのは8月27日の朝。この日が、映画「男はつらいよ」シリーズの第1作が公開された記念日だと知った大島さんは、テーマを「寅さん」に定め、インターネットで見つけた画像を参考に、カラフルな水性ペンを走らせた。
これまでで会心の一枚を聞くと、「ロックの日」の絵だという。「動き、表情、目線のいずれも100点ですね」。このときは1時間以上かかったそうだ。出来栄えに満足したり、納得いかなかったり、いろんな朝があるが、「表に出すのは一日だけ」と割り切る。ちなみに、この日に描いた寅さんの完成度は「60点」とのことだった。
地域のつながりを
店先を掃除していると、「誰が描いているのですか? 」「いつも見ています」と声をかけられることがあるという。「そんなときは特にうれしいですね」と大島さん。絵に興味を持って、店に入ってくる人もいるそうだ。
道行く人がクスッと笑ってくれたり、「へぇー」と思ってもらえたり、そんな話題を選ぶ。「見て嫌な気分になるものは描きたくない」と悪いニュースや悲しい事件は避けるが、例外もある。2022年、ロシアによるウクライナ侵攻がそうだった。「描きたくない」より「やめようよ」という思いが勝り、早期終結への祈りを込めてペンを握った。
九大跡地には複合施設「六本松421」が誕生し、2023年には福岡市地下鉄七隈線が博多駅まで延伸した。大島さんは「人のにぎわいは九大があった頃の8割くらいまで戻ったのでは」と話し、「新しい人たちが増えてきましたね」とほおを緩める。
一方で、人と人のつながりは薄れたと感じている。だからこそ、微力であっても、毎朝描いて店先に出す掲示板が「地域のことに目を向け、地元愛を深めてもらうきっかけになれば」と願う。