昭和を駆けた名車に会える 久留米の「セピアコレクション」
記事 INDEX
- オーナーの思いも引き継ぐ
- 響くエンジン音に驚きの声
- 「明日はどれに」少年の心で
昭和を駆け抜けた希少な名車を集めた私設博物館があるという。福岡県久留米市の「セピアコレクション」で、その数およそ130台――。すべて、館長で不動産業を営む松崎秀樹さん(63)の自家用車で、その半分以上は公道を走ることができる現役だ。
オーナーの思いも引き継ぐ
今も走行できるのは国内で1台という2人乗り軽オープンカー「NJ号」、日本の小型自動車史に残る戦後最初の超小型四輪車「52年型 オートサンダル」――。プレス機のない時代に、職人が鉄板をたたいて作り上げたマニア垂涎(すいぜん)の旧車だ。広い館内には、昭和30~40年代の国産車を中心に、往年の名車が所狭しと並ぶ。
どのようにして、これだけの数をそろえたのだろうか――。松崎さんに聞いてみると、集めた一台一台に苦労があることを話してくれた。
「これぞ!」と思う旧車の存在を知ると、北は秋田から南は宮崎まで、繰り返し足を運んで持ち主と交渉を重ねてきた。
かつて、宮崎県に住む高齢の男性が魅力的な旧車に乗っていると聞いた松崎さん。まずは現物を見せてもらいに訪問し、後日、タイミングを見て譲渡話を切り出した。初めから「長期戦になる」と覚悟はしていたものの、これまでに10回ほど足を運び、今なお続く交渉は「かれこれ15年になる」という。
欲しくてたまらないその車は、非常に状態のいい「初代カローラ」。松崎さんの父親も乗っていた車で、幼い頃のかけがえのない記憶がよみがえるそうだ。
オーナーがずっと大切に乗ってきた旧車は、家族の一員のように愛着が増し、譲ってもらうのがとても難しい。一度は交渉がまとまっても、いざ引き取りの段になって「やっぱり家族に反対された」と断られ、やむなく諦めることも度々あるそうだ。
「いくら積まれようとも、お金の問題じゃない。どれだけ愛情を持ってこの車に乗り続けるか、オーナーにその思いを誠実に伝えることが大切」と力を込める。
響くエンジン音に驚きの声
松崎さんも、博物館に並ぶ旧車に我が子同然の愛情を注いでいる。以前は無料で開放していたが、無断でドアを開けて車内に入ったり、むやみに触ったりされるのがつらく、「譲ってくれた人たちに申し訳なく思うようになった」と話す。
今は予約制で対応し、団体客を1人600円で受け入れている。開館当日には、大切な旧車にかけた毛布を一枚一枚、丁寧に取り外していく。すべて終えるのに、3時間もかかるのだという。
12月上旬、平日の午後。長崎県から13人の団体客がバスで訪れた。館内に入った途端に発せられたのは「うわぁー、懐かしかー」「すごっ!」という感嘆の声だった。
佐世保市から来た蛭子谷淳一さん(64)は三輪自動車「ミゼット」の前に立ち、「子どもの頃はバスもトラックもこれだった。今も走れるなんて信じられない。乗ってみたかー」と興奮気味だった。
「明日はどれに」少年の心で
なぜ、これほどまでに旧車を愛しているのか――。もう一つの疑問を松崎さんに投げかけてみた。
すると、若い頃の苦い思い出話を聞かせてくれた。
本でしか目にできないような憧れの車に熱を上げ、20歳の頃、福岡市にあった販売店を訪ねた。しかし、まだ若い松崎さんの姿を見た店員は「買えるはずがない」と判断したのか、車を見せてさえくれなかった。
「将来、好きな車を自由に乗り回したい」。悔しさと同時に、熱い思いをマグマのようにたぎらせたという。
子どもたちには夢を持ってほしい――。そうした思いもあり、博物館を訪れた子どもを旧車の助手席に乗せ、周辺をドライブすることもしばしばだ。
「明日はどれに乗ろうか、と考えるとワクワクします」と笑顔の松崎さん。その瞳は少年のようだった。
<セピアコレクション>
福岡県久留米市荒木町荒木1457-3
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