親子3代で78年 3月末に閉館する中洲大洋が「さよなら興行」

映画の街の灯を守ってきた中洲大洋

記事 INDEX

  • 焼け野原に映画の灯り
  • 昭和の趣とどめる館内
  • 最後はチャップリンで

 福岡市・中洲で唯一営業を続けている映画館「大洋映画劇場」が、建物の老朽化のため3月末で営業を終え、解体される。戦後の焼け野原からスタートして78年。親子3代で劇場を守ってきた社長の岡部章蔵さん(72)は「お客さんに元気づけられた日々だった」と話す。恩返しの思いを込め、3月は過去に上映した人気作を集めた「さよなら興行」で幕を下ろす。

焼け野原に映画の灯り

 終戦から約8か月後の1946年4月、岡部さんの祖父・重蔵さんと、復員したばかりの父・章一さんが「博多の人たちを娯楽で明るくしたい」と開業した。焼け野原を歩いて那珂川にほど近い今の場所を選び、40人近い地権者を訪ねて借り受けた。建設業を営んでいた重蔵さんが自ら、約1500席を備えた木造3階建ての劇場を建てた。


写真を前に、往時を懐かしむ岡部さん


 松竹や日活、東宝、東映など映画会社が運営する映画館が立ち並ぶ中、2人は「これからはアメリカの時代だ」と米国映画の配給権を持つ会社と契約。1作目の興行でチャールズ・チャップリンの「黄金狂時代」を上映すると、2週間で6万人を超える人が訪れた。


開業当時の劇場(劇場提供)


 戦後の復興期には、当時中洲にあった15を超える映画館とともに、「オールナイト」上映を全国で初めて実施。博多祇園山笠のフィナーレ・追い山笠(やま)が始まる早朝までの時間を活用した取り組みは評判となり、全国に知られる「映画の街」となっていった。


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昭和の趣とどめる館内

 現在の建物は52年に建て替えた鉄筋コンクリート4階建て。1階にカフェ、2階と4階に四つのスクリーン(50席~301席)を備える。じゅうたん敷きでつややかなあめ色の建材が使われたロビーなど随所に昭和の趣が感じられる。看板絵師が描いた映画「ローマの休日」で印象的に用いられた「真実の口」の絵やチャップリンのパネルなどもある。


現在の建物となった当時の劇場(1952年頃、劇場提供)


 大阪で会社員をしていた岡部さんは、父に呼び戻され、1980年代初めに働き始めた。その頃から、映画館を取り巻く環境は大きく変化していく。


 96年には、ほど近い場所にキャナルシティ博多が開業し、13スクリーンを備えたシネマ・コンプレックス(複合型映画館)が登場。郊外にもシネコンが開業すると徐々に客足が遠のき、中洲の映画館は相次いで廃業に追い込まれた。年間約40万人が訪れていた大洋も来場者の減少に歯止めがかからず、コロナ禍前には10万人ほどまで落ち込んだ。

最後はチャップリンで

 それでも岡部さんは「博多の人を笑顔にしたいと守ってきた祖父や父の気持ちを大事にしたい」と映画の街の灯を守り、ロードショーと単館系の両方の映画の上映を続けてきた。


映画俳優の膝の上に座れるベンチ


 しかし、建築から70年以上が経過して老朽化が進み、「地震があれば、お客さんの安全を守れないかもしれない。迷惑をかけられない」と判断。取り壊しを決めた。


取り壊される大洋映画劇場


 昨秋の発表以降、多くの惜しむ声が寄せられており、「さよなら興行」では人気を博した名作を1000円で上映する。最終3日間はチャップリンの3作品で営業を終える。


 取り壊し後の再開は「未定」という。岡部さんは「昭和を感じられる劇場で、最後のひとときを楽しんでほしい」と話している。

3月のさよなら興行ラインアップ
<1~7日>
 ▶世界にひとつのプレイブック▶ラ・ラ・ランド▶コーダ あいのうた
<8~14日>
 ▶半世界▶凪待ち▶ミッドナイトスワン▶映画めんたいぴりり▶映画めんたいぴりり~パンジーの花
<15~21日>
 ▶おくりびと▶男はつらいよ お帰り 寅さん▶キネマの神様▶機動戦士ガンダムシリーズ(4作品)
22~28日>
 ▶ボディガード▶ニュー・シネマ・パラダイス▶グレイテスト・ショーマン▶ボヘミアン・ラプソディ
29~31日>
 ▶黄金狂時代▶独裁者▶街の灯


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