黒田藩「孝子」の家が民泊施設に 飯塚市の「三軒家 好平庵」

茅葺き屋根を復元し、民泊施設として生まれ変わった「三軒家好平庵」

 福岡県飯塚市にある推定築200年の古民家が、茅葺(かやぶ)き屋根を復元し、民泊や演奏会を開く施設として生まれ変わった。江戸末期に親孝行の「孝子」として福岡藩主から年貢の免除を認められ、功績をたたえる碑が残る畠中好平(よしへい)が暮らしたとされる家で、改修した子孫は「先祖の記憶が残る場所を守っていきたい」と話す。

先祖の記憶を再生

 江戸後期に建てられたとされ、建築面積は160平方メートルほどで居室と土間、牛小屋などがあった。長く空き家となっており、改修前は、茅葺きの上にトタンをかぶせた状態だった。

 市によると、農民だった好平は父母に孝行を尽くしたと評判になったほか、長崎街道を行き交う人が困った際に使えるように、わらじを木につり下げておくなど様々な善行を積んだとされる。明治期に編さんされた「筑紫遺愛集」には1858年(安政5年)に福岡藩主の黒田長溥(ながひろ)から招かれ、直接褒められたとの記録があり、「黒田藩の三孝子」にも数えられたという。1929年(昭和4年)には、「筑豊の炭鉱王」と呼ばれた伊藤伝右衛門らが碑を建て、功績を現在に伝えている。

 好平から数えて6代目の子孫に当たる畠中新二郎さんが、家を守ることを願っていた父の思いを受け、茅葺き屋根の復元など改修を決断。2022年に新二郎さんが亡くなった後は妻の裕美さん(79)と子どもたちが計画を引き継ぎ、裕美さんが暮らす住居部分以外のスペースを活用し、宿泊用の部屋やホールに改修した。「三軒家(さんげんや)好平庵」と名付けて7月にオープン。三軒家は、かつて、この地域に3軒しか家がなかったと伝わることに由来する。


太い梁に江戸時代の雰囲気を残す1階ホール。好平にちなみ、わらじをつるしている

 ホールは約40平方メートルでピアノを常設しているほか、好平にちなみ壁沿いにわらじを掲げている。ロフトのような形で設けられた寝室(約20平方メートル)では茅葺き屋根を目の前で見られ、天井の太い梁(はり)や台所のかまど跡など、江戸時代の雰囲気も残している。裕美さんは「茅葺き屋根だと夏でも涼しいですよ」と話す。

「地域の原風景に」

 復元工事は、多くの古民家再生を手がけてきた同市の総合建設業「クボイ」が担当。茅葺き屋根には熊本県産のススキを多く使用し、近所の人たちに刈り取りを手伝ってもらった遠賀川河川敷のヨシも一部使った。同社の久保井伸治会長(74)は「地域の人に関わってもらうことで、愛着を持ってもらえれば」と語る。

 長崎街道が江戸時代、長崎に到来した砂糖を各地へ運ぶ「シュガーロード」だったことにちなみ、好平庵ではスイーツで利用客を出迎えている。県外から足を運んだ人もおり、「懐かしい匂いと高い天井でゆったり過ごせた」と好評という。

 民泊などの収益は、将来の葺き替えなどの維持費用となる。裕美さんは「うれしい感想をいただくと励みになる。空き家となっていた間も壊されずにすんだのは、地域の皆さんが見守ってくれてきたおかげ。好平庵が地域の『原風景』となれるように頑張っていきたい」と張り切っている。

 問い合わせは、「三軒家 好平庵」へメールで。


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